TOPNovel > ケイタイフケイタイ
ケイタイフケイタイ
 彼女は電話というものが嫌いだ。家の電話すら嫌がって最低限しか使わないらしい。顔が見えないのが嫌だとか、電磁波が嫌だとか色々言っているけど要は、ただ単に嫌いなのだろう。やむにやまれず電話しなければならないことがあるとすごい仏頂面をする。
 そんな彼女が携帯電話を導入したというのを聞いたときは、今日が四月一日だったかとおもわずカレンダーを確認してしまい、彼女に足を踏まれた。
 ひどい話だ。
 いや、それはおいておいて。
 どちらにせよ、俺はきいた瞬間は内心快哉をあげた。遅刻魔である彼女と待ち合わせの時、連絡が取りやすくなるに違いないと、つかの間の喜びを味わった。
 彼女のe-mailアドレスを聞くまでは。

「keitaifukeitai@――――。できた? ケイタイフケイタイってなってる?」
「けいたいふけいたいぃ?」
 最初はアルファベットで、次にローマ字読みされた彼女のアドレスに俺は思いっきり眉根を寄せた。
 漢字に直すと携帯不携帯。つまり、不携帯な携帯。それは携帯とは認められん!
「なーなーせー?」
「だってほんとのことだもん」
 財布ですらひょこひょこ忘れるあたしが携帯をきちんと持ち歩けるなんて思ってないでしょ、と彼女はけろりと言った。そして、固まっている俺の手から俺の携帯を取り上げてアドレス帳入力画面を見ると、うん、大丈夫、といって再び俺の手の中に返してくれた。
「湊? どしたの? 固まって」
 ひらひらと俺の目の前で彼女が掌を振る。――固まらずにいれるか!!
「これで寒空のもとで三時間! とか」
「ふぎ」
「くそ暑い日に一時間半! とか」
「あう」
「人混みのなかで二時間!とか」
「えう」
「待たなくてすむと思ったのに……」
 ちなみにどれも実話である。はっきりきっぱり俺の体験談だ。くそ暑いときは生命の危機を感じたのでさっさと手近の涼しい場所(たいていファーストフードへ入る)へと避難したが、人混みは回避するわけにも行かず、立ったまま二時間待った。
 とはいえ、確かに三十分前に待ち合わせ場所に着くよう行動する俺もあれなのかもしれない。が。デートって浮かれるものじゃないのか? 俺のは元々の癖だが、うきうきわくわくするものだという姉の様子を見ていると服選びなどに迷って時間ぎりぎりにはなるものの、基本的には遅れないように走り出ていく。
「うわ、泣かないで〜! ごめんな〜さ〜い〜。いつもいつもありがとう〜」
 そう言うなら時間通りに来い! それだけでいいから!
「泣かないでってば!」
 本気でおたおたとする彼女に、俺は少しだけ溜飲が下がったので目から水を出すことはやめた。
「んじゃ、持ち歩くか?」
「ぃや!」
 即答だった。
「…………」
「うわ、だから泣かないでってば」
「二択」
「え?」
「携帯持ち歩くか、遅刻しないか」
「う」
 もちろんどちらも実行してくれた方が俺は嬉しいのだが。
「ち……遅刻はいつもしないよう努力はしてるんだよ?」
「努力ではなく結果を出せ。学校は一応遅刻せずに来てるだろ」
「だってほら、それは前日浮かれたりしてないから」
 というと、デートの前日は浮かれてるのか?
「――遠足前の小学生か」
 その心は、なかなかねむれなかったあげく寝坊する。
「こ、高校生だもんっ」
「それでも待ち合わせには遅刻しないのが乙女回路なんじゃ?」
「おとめかいろ?」
「造語。作成者・姉」
「……湊って意外とお姉さんの影響受けてるよね」
 しょうがないだろ。年も五つほど離れてたら、弟は単なるおもちゃだ。言葉を本来の意味から外れて覚えさせられたり、着せ替え人形にされたり、料理の毒味係にさせられたり、八つ当たり対象にされたりするのが普通なはずだ。影響を受けずに育つ方が難しい。さらに、両親とも就寝時間が早いため、遅く帰ってきた姉の愚痴を聞くのが俺の役目なので、最近ではめっきり姉の思考回路には詳しくなった。
 が、ここいらの事情を延々説明するのも嫌なのでただ押し黙って遠い目をしてみた。彼女も少し年の離れた弟が一人いるのでそれだけで理由の一片は悟ってくれたらしい。不自然なほど話題をねじ曲げてくれた。
「で、でもアドレス、覚えやすくていいでしょ? ケイタイフケイタイ。居留守使いやすいし」
「おい」
 居留守かそこで。
 とはいっても、
「つまり持ち歩く意志はあるのか――?」
「なかったら買わないよう」
 ……そうかもしれない。
「じゃ、なんで買ったんだ?」
「……反省したの」
 しょぼりとして彼女は言った。
「――――何に?」
「今年はいってからの遅刻時間の累計に」
 時間の累計……また変なことをしている。ちなみに俺は自分がどれだけ待ったかは計算してはいない。一日だけ覚えておいて忘れ去るようにしているのだ。理由は簡単だ。メリットのかけらもない、自分のストレスがたまるだけの物事を覚えておいてどうしようというのだ。
 は。
 だからストレスの溜まらない性格だといわれるのか。
 もちろん、この受け流し術も姉からの多大な影響を受けている。
「でね。聞いてる? 湊」
「あ、ああ。聞いてる。時間を数えて改心したんだろ?」
「した。これからは湊にモーニングコールしてもらえばいいんだ! ってようやく考えついたの♪」
 ――なぜ俺!?
「そう言えば怖くて聞いたことはなかったけど、もしかして友人との待ち合わせは普通に間に合ってるのか?」
 学校にはほとんど遅刻していないしな。
「怖いって何よう。もちろん間に合ってるに決まってるじゃない」
 さいですか。
「うきうき度が違うの〜!」
「――小学生」
「ちっがーう」
 と、彼女はこぶしで机を叩いた後、我に返った。
「で、湊。お願いが……」
 ここまでくれば話の内容はわかるが――
「――自力で起きろ」
 ものぐさな彼女のことだ。マナーモードいれっぱなしで音がしないだの、音がしても結局起きないだのの事態に絶対、陥るに決まっている。
「えー」
 案の定、ふくれた返事が返ってくる。
「かわりにどのぐらい遅れるのかきっちり連絡する。電話でもメールでもいいから」
 それまでこころおきなくどこかで涼むなり暖をとるなりさせてもらう。
「ただし、一度連絡した時間からは遅れないこと。それから、必ず家を出た時に連絡すること」
「う……わかった。努力する」
「ぜひ実らせてくれ」
 はてしなく無理そうだが。

 ひと月後、俺はなぜか彼女の弟とメル友になっていた。
 〈ケイタイフケイタイ〉の彼女が確実に携帯と共にいるにもかかわらず寝坊するたび、俺がかける電話の着信音が目覚まし代わりにもならないことに気づいた弟くんが彼女の携帯の着信履歴を見て、俺に直接、電話をくれたのだ。さらにその日は彼女は携帯を忘れてきていた。
 ――そのときから俺らは手を組んでいる。利害の一致というやつだ。
 高校受験生である弟くんは静かに勉強したいし、俺は長く待ち続けたくはない。早く来てしまう三十分は仕方がないとは思うのだが。
 ちなみに、「静かに」というのは彼女が家を出て行くときの騒音がものすごいらしい。俺も姉の出かけ際を知っているので共感は覚えまくりだ。確かにあれは勉強しているときにやられると集中力がひどく欠ける。彼女が一人ばたばたしているならともかく、ものを探して家中をかけずり回るので甚大な被害が来るのだ。そして、思うままに散らかしてゆくので、勉強からの逃避として思わず掃除をはじめてしまったりする。
 ――おかしいなあ。焦っているのは彼女たちの方なのにどうしてこんなにこちらの被害者意識が強くなるんだろう……。
 とかそんなことを考えながら、待ち合わせ場所の真向かいにあるファーストフード店で半額セール中だったシェイクも飲み尽くしてしまい俺がぼーっとしていたところで携帯がメールの着信を告げた。鳩時計の着メロ(正確にはメロディではないので着音とかのほうが正しいのだろうか)は弟くんからだ。
[姉は三十分遅れで家を出ました。道に迷わない限りあと三十分ほどで着くと思います。携帯はベッドの上に置き去りにされているので、電話をしないようお願いします]
 案の定だ。俺はいつもの通りに感謝と了解だけの簡潔なメールを返信して、二十分後にアラームをセットした。彼女が携帯不携帯ならそのころには外に出ておかないと、はぐれるだけなのだ。

「おくれてごめんなさい……ケイタイも忘れました……」
 三十分後、現れた彼女は悄然と頭を下げた。
「ななせ」
「ん?」
「正直にこたえてくれ」
 遅刻したという負い目のせいか、俺がおおきくため息をつきながら言ったせいか、彼女はおとなしくうなずいた。
「うん」
「どうして携帯を買ったんだ?」
 じっと観察していたら、彼女の目がうろうろと揺れた。
「怒る?」
「場合によっては」
「う――え、えっとね……ひとめぼれ」
 やっぱりか。もちろん、もともとある程度導入する気もあったのだろうが、突発的に買ってしまったということは、そういうことだろうとは思っていた。
 ――確かめる気がなかっただけで。
「み、湊?」
 思わず遠くを見てしまった俺に彼女があわてたような声を上げる。視界の端をジャンボ機が横切っていった。機体の腹だけでは航空会社まではわからない。
 ――と、逃避している場合ではなく、俺は視線を戻した。
「ななせ」
「はいっ」
 彼女は先生や親に叱られる時のようにぴんと背筋を伸ばす。それでいて視線が定まらないのは既に何を言われるのか、心当たりがあるからだ。
「もう少し活用してくれ」
 頼むから。本当に。
「うっ」
「というか、せめて持ち歩いてやれ……携帯が哀れだ……」
 携帯されない携帯はただの電話だ。置き去りにされた場所でさみしくメールを受信したり、電話を受けたりするしかない。
「……はーい」

 そして、今日も彼女はケイタイフケイタイだ。


*どちらか一方だけでもおねがいします。送信ボタンは共通です。