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杣木山高等学校情報部!


 今回の出来事の発端が飛び込んできたのは、今年最初の中間試験も終わり校内中が浮き足立っていたある日のことだった。

「きーさーん、まーいーちゃーん、証言ゲットしたよー!」
 今日も瑛先輩はわたしときーさん先輩が情報部の部室でまったりとしているところに元気よくやって来た。しかも走ってきた勢いのままつんのめって、冷たい床に激突するすんでのところできーさん先輩に腕を引いてもらってる。わたしがこの部に入って三ヶ月経ったけれど、この妙な光景に気づけば慣れてしまった。
「大丈夫か?」
「うん。ありがと、きーさん」
 転ばなかったにせよ、走ってきた所為でどこか乱れている制服をきーさん先輩にはたかれながら瑛先輩はわたしにメモ用紙の分厚い束をくれた。
「まいちゃん、これお願い」
 ざっとめくってみると、相変わらず独創的な文字が紙上に躍ってる。読めないわけじゃないんだけど、解読には時間がかかる文字だ。数字は何とか読めるけれど、それだってお世辞にも綺麗とはいえない。さすが校内をよく走り回っていろいろな騒ぎに首を突っ込まずにはおれないという、ある意味「校内をめぐるありとあらゆる情報を集めてついでに冒険なんぞしてみようという部」が正式名称のうちの部を果てしなく体現していると評判の瑛先輩だ。ちなみに一年生は黙っていれば美少女なのにと嘆き、二年生はあれが同級生かとため息をつき、三年生は暴れてこそ羽村瑛と愛でているらしい。恐ろしいことに男女間で見解の相違はない。
「で、どうだった?」
 瑛先輩は最終的にきーさん先輩にネクタイまで締めなおされてた。この二人もわたしにはきーさん先輩こと木原直幹先輩が一方的に飼育係をやっているように見えるのだけど、全校生徒――はては先生たちにまで学年を超えて二人一組として扱われている。杣木山高校のトラブルメイカーといえばこの二人(人によってはうちの部長のタカ先輩を加えて三人組にしているらしいけど)でけっして瑛先輩の単品ではない。噂によれば去年のある日に二人の所為で授業が丸一日崩壊して、玉突き式に定期試験が一日ずれたこともあるそうだ。何をやればそんなことになるのか一年生で詳しく知っている人もいないし、二人に直接聞くことも何となく出来なくて詳細はわからないのだけど。というか、いろいろわかりやすい瑛先輩はともかくきーさん先輩やタカ先輩はわたしにとっては温和な先輩でしかない。
「最近、日が長いから遅くまで残っている人が多くて、話は結構聞けたよ」
 今回瑛先輩が集めていた情報の大元、放課後まだ明るいうちから幽霊が出るという噂はわたしも知っていた。学校生活最初の試験が終わった気の緩みと夏休みが視野に入るようになって来れ浮かれてる雰囲気が手伝ったのか、一年校舎でその話題が取りただされない時はない。最初は部活動に入っている人たちが「先輩から聞いたんだけど」と切り出していたのに、どこかの授業で先生が「そんな騒ぐようなことでもないだろ」と山のような課題を出したことによって爆発的に広まった。これだけ騒いでいる一年校舎での目撃情報がほとんど無く、主に三年校舎での発見例が多かったことも拍車をかけたのだろう。何か余程のことがない限り一年生は三年校舎には入れない。噂が先行するよい例だ。しかし瑛先輩の話を聞いている限りだと三年生の間ではそれだけ目撃例があるにもかかわらず、一年生ほど騒ぎ立てる風もなくどちらかといえば気にしている様子がさっぱりない。又聞きの証言がほとんどない事からもそれがわかる。
「きーさんは見てないの?」
「放課後はこっち来ちまうからな」
「まいちゃんは?」
「わたしも三年校舎までは……」
「そっか」
 瑛先輩の話が大体終わったところで、わたしはそれまで座っていた長机を離れて、部屋の隅に設置してあるパソコンを立ち上げた。メモを取ってきた瑛先輩じゃなくて、わたしが入力するのは思い込みを排除するためだ。どんなに紙と画面を付き合わせても頭の中で「こう!」を思い込んでしまったら間違いに気づけなくなるというのはタカ先輩の持論で、情報を口頭で他人に伝えるのもその一環だという。そして、わたしが何とかすべてを入力しおえたときには瑛先輩はすでに部室にいなかった。
「きーさん先輩、瑛先輩はどちらへ?」
「瑛はタカ探しに行った。真衣のは終わったのか?」
 いわれてみれば「いってきます」の声をぼんやり聞いた気がする。タカ先輩こと高橋行秀先輩はうちの部の部長業の他にいろいろと兼任していて、定例会以外の曜日にはあまり部室まで来ない。それをわたしよりもよく知ってる瑛先輩が探しに行ったってことは、臨時のミーティングを開催するつもりなんだろう。
「はい。他に何かやっておくことってありますか?」
「今は締め切りもまだだしなあ……」
 きーさん先輩は写真を選り分ける手を止めて、私を振り返った。締め切りというのは生徒会から委託されている生徒会広報のものだ。詳しい経緯は知らないけれどその見返りとして部として成り立たない人数にもかかわらず、編集部屋という名目のもとに狭いとはいえ独立した部室と原稿清書の為のパソコン(ただし型落ち)を手に入れているらしい。
「真衣の分はもう終わってるんだろ?」
「あとは牧原先輩のコラムと、その写真ぐらいかと」
「んじゃ、待機で。やる事も無いし」
「タカ先輩待ちってことですね」
「うん」
 あっさり頷かれたので、しかたなくわたしはもう一度パソコンの画面に向き合う。やる事もないので何となく今まで自分が整理していたデータをスクロールさせた。こうして一覧にしても、やはり目撃例は三年生ばかりだ。
「きーさん先輩」
「なんだ?」
「先生方は見ていらっしゃらないんでしょうか」
「……さあ」
 きーさん先輩は無口というわけではないのだけど、何か作業をしているときの反応はとても悪い。瑛先輩が転んだりするときにはきちんとすばやく反応しているけど、そうでなければ話しかけても申し訳程度の相槌しか帰ってこないのだ。最初は嫌われているのかと思ったのだけど、誰に対しても(動いてない瑛先輩とか)対応が変わらなかったのでそういう人なのだろうと思うようになった。
 そんな風にぼんやりしていたら廊下からまたにぎやかな足音が聞こえてきた。
「タカさん委員会だったー! あ、まいちゃんおわった? 確認するよ、場所かわろ」
 先ほどと同じように勢いよく部室に飛び込んできた瑛先輩に向かって素直にうなずいて、特に何もする事がないわたしはパソコンの前から移動する。
 そういえばタカ先輩は委員会に正式に所属しているのではなく、顧問か相談役のように呼び出されているのだそうだ。実際に所属していたことがある委員会はないらしい。便利屋代わりに使われているとタカ先輩は言っていたけど、そんな風に使われるだけの器量をもっているのはすごいことだと思う。
 それにしてもタカ先輩が出席している委員会が終わるにはまだ時間がかかりそうだ。瑛先輩はパソコンに向かっているし、きーさん先輩は仕分け終えた写真の指定を版下に書き込んでいた。生徒会からの委託業務で作っているこの校内新聞はなぜか先生たちからの受けがとてもよいので手が抜けないのだけど、今月の締め切りはまだなのできーさん先輩のその作業が終わればやることはもうない。クラスメートたちに感想を尋ねてみても読んでないと思しきあやふやな答えしか返ってこないのに、先生たちはいつもおかしいほど読み込んだ感想をくれる。新聞といってもかなりシンプルな生徒会広報で、生徒会長の抱負とか部活動報告しか載っていない筈なのだけど、先生たちの言葉だともっと素晴らしいものが書かれているような気になってしまう。
 ――とにかく、一息入れるために何か飲み物を調達しようかと思ったところに、ノックの音と共に部室のドアがからりと開いた。
「こんにちはー」
「牧原先輩」
「あ、真衣ちゃんだ。原稿もって来たよん」
 情報部のメンバーを除くと一番うちの部室に来る彼女は肩書きでいうなら先日の生徒会選挙で就任したばかりの生徒会長だ。どういう縁があるのか知らないけど毎月、かならず穴埋め代わりのコラムを寄稿してくれるとてもありがたい人でもある。その内容がわたしにはあずかりしらぬ世界を熱心に勧めるものであっても、紙面が埋まるというだけで大歓迎だ。牧原先輩のクラスメイトである瑛先輩によると、このありがたいコラム(こっそりコアなファンもいる)を授業中に作成してくれてるらしいけど、成績はわたしが心配するまでもなくよいという。それに文章を書くということに関してまるで役に立たないタカ先輩ときーさん先輩よりもはるかに有益な人であるのは確かだ。
「締め切りまだだったよね?」
「はい。いつも間に合うように出していただいてありがとうございます」
 手の空いているわたしが原稿を受け取って目を通している間に、勝手知ったる何とやらで牧原先輩が戸棚の隠しから木原と大きくはっきり書かれたクッキー缶を取り出して長机に置いた。そのまま彼女が蓋を開けたところで、所有者かつ甘い物に目がないきーさん先輩がようやく顔を上げた。
「あれ、牧原妹だ。最近休んでた兄の分のプリント、タカに預けたから」
「それは私にではなくあの馬鹿兄に直接どうぞ。それに私の名前は妹ではなく牧原理代です」
 にっこりとそう言うと牧原先輩はきーさん先輩の手が届かないところに缶を移してしまった。きーさん先輩も懲りない人だ。最初にこのやり取りに遭遇したときには二人の変貌ぶりにかなり戸惑ったのだけど、瑛先輩からこのやり取りを少なくとも九年間は続けているらしいと聞いてしまったので心配する気は起きない。さりげなく遠ざかっておけば物が飛び交うようになっても被害は少ないし。牧原先輩のお兄さんはわたしはお会いしたことはないのだけど、今年はきーさん先輩のクラスメイトでもあるらしい。
「真衣ちゃんもどうぞ。木原先輩のだけど食べちゃっていいわよ」
「ありがとうございます」
 元が何であれ人の好意は素直に受け取るのが一番いいということも、この三ヶ月で学習した。
「あ、牧原妹! それ俺の! 真衣は食ってもいいけど妹の物のように勧めんな!」
「妹と呼ばないでください。それにあの馬鹿兄と同じクラスなのは木原先輩でしょう? どうして高橋先輩なんですか」
「タカんちはお前らと同じ団地だろ、牧原妹」
「妹と呼ばないでください」
「あたしにもちょーだい」
 いつの間にか瑛先輩が長机まで来てて、缶をきーさん先輩からさらに遠いところへと移動させた。これはどっちかって言うと独り占めするためだと思う。
「終わったんですか?」
「うん。もう印刷した」
 食べながら、瑛先輩はひょいっとクッキー缶のプラスチックのトレイを外に出してきーさん先輩どころか牧原先輩からも遠ざけた。この行動の真意はすぐにわかった。
「牧原の妹を妹と呼んで何が悪い。だいたいタカだってそう呼んでんじゃんか」
「私の名前は理代ですし、高橋先輩は――」
「誰か呼んだ?」
 タカ先輩は絶妙のタイミングで開いたドアから顔を覗かせた。部室内にいた全員に一斉に振り向かれて少しだけ驚いたように目を瞬かせる。鷹揚な人だ。しかし今はあまりにも間が悪い。どれくらい悪いのかというと、きーさん先輩にぶつけるために牧原先輩が空のクッキー缶を振り上げたその瞬間だったぐらいに間が悪い。
「どうかした? あ、牧原の妹さん。いいところに。これに判子――」
 クッキー缶はタカ先輩にこんにちはした後、からんと音を立てて廊下に転がった。

「……で、また幽霊なのか?」
 側頭部にたんこぶをこしらえたタカ先輩は瑛先輩がまとめてプリントアウトした資料を読み終え、痛みからか内容からかはわからないけど思いっきりしかめっ面でそうのたまった。
「そうだよん」
 あっさりと瑛先輩が頷いた。続けてきーさん先輩もため息をつく。
「今更だよな。しかも今回のはおとなしいんだろ?」
「わかってないなあ、きーさん。おとなしいとかそういう問題ではないのです! わが情報部は好奇心を実行するためにあるのですよ! 北で貝塚が見つかったと聞けば発掘に、南にピラニアがいると聞けば釣竿持って釣り三昧、東でお祭りがあれば率先して参加し、西に幽霊が出ると聞けば身の上話を聞きに行かねばならないのです!! ねー、まいちゃん!」
 反射的に頷いてしまったけど、お祭りはともかく貝塚とピラニアと幽霊って……。
「貝塚はともかくピラニアはいい加減あきらめろよ」
「ピラニアはともかく幽霊はもういいよ」
 二人同時にそういわれて瑛先輩はかわいらしく頬を膨らませて、何もない部屋の隅に視線を投げた。つられてそちらを見てしまったけどもちろん何もない。
「確かに今更探しに行かなくてもうちにもいるけどね、幽霊」
「あ、あー、うん、まあ、いるな」
 きーさん先輩の反応はとても歯切れが悪い。やはりこっそり部屋の隅に視線が向かっている。
「あ、そうそう幽霊部員といえば一匹見かけたら三十匹はいるという――」
「それはゴ――だぁっ、瑛?!」
 タカ先輩の脳細胞が再び外部的要因によって減少した。わたしも聞きたい言葉ではないけど、瑛先輩はこういうときに本当に容赦がない。先ほど牧原先輩が作ったたんこぶの上にばっちり瑛先輩の拳がヒットしててとても痛そうだ。……というか、きーさん先輩は制裁無しなのだろうか。
「タカさんペナルティ。今すぐ自販機行って来て。あたしはちみつレモン」
「おれ、牛乳」
「はいはい。真衣ちゃんは?」
「わたしもいいんですか?」
「もちろん。遠慮なくどうぞ」
「じゃあ……わたしは……グレープフルーツジュースお願いします」
「んじゃ、ちょっといってきます」
 ぺこりと頭を下げてタカ先輩は立ち上がった。手に資料を持っていくのは読み返すためだろう。
「早くね。ミーティングやっとくから」
「はいはい」
 振り返らずに手を振ってタカ先輩は部屋を出て行った。
「で」
 そして何事もなかったかのように瑛先輩は話を巻き戻した。
「今度の幽霊は目撃例が非常に多いです。特に三年生で、これは出現場所の統計をとっても三年校舎での出現が多いからなんだけど」
「あとは、中庭と図書館だっけ?」
「うん。あとモンタージュこそ作れなかったんだけど顔に見覚えがあるっていう人が多かった。まあ明るいうちははっきりとは見えないから『見覚えある』顔に変換しちゃいやすいけどね」
 自分で訊いてきたからかまとめたからか、瑛先輩はさっきから一切手元の資料を見てない。反対に、きーさん先輩は視線を手元に落としたままところどころ自分なりの注釈を書き込んでる。
「ああ、なるほど」
「時間はだいたい、放課後だけど昨日今日と昼日中にも目撃例があるよ。場所は三年校舎であれば結構どこでも。がっくりと肩を落としてぼんやりふらふらうろついてるんだって」
「しかしその時間てーと、今日はとっくに過ぎてないか?」
「いえ、目撃証言は少ないですがありますよ。遅ければ遅いほど残っている人も少ないですし」
 プリントをたどると時間が経つごとに校内に残留している人が減っていくのがよくわかる。今は日も長くなってきているからこれでも多いのかもしれないけど。
「だよ。今日とってきた証言はそれ。部活後教室に忘れ物を取りに来た三年生が見たんだって。七時ぐらいだったかな」
 瑛先輩の言葉にきーさん先輩が部室の壁にかけてある時計を見上げたところに、からりとドアが開いた。
「ただいまー。遅延許可書貰って来たよ。真衣ちゃんはお家に連絡入れるように」

「遅延許可書、よく降りましたね」
 校内には持込が禁止されているはずの携帯電話を帰ってきたタカ先輩からぽんと渡されて、わたしは家に連絡を入れた。テスト前でもないし、先輩たちが一緒で帰りも送ってくれると言うとあっさりと親の許可は下りた。
「さっき会ったときに牧原の妹さんからな」
 タカ先輩がいったいどういう人なのか心底わからなくなるのがこういうときだ。確かミーティングの最初には「また幽霊なのか?」とか訊いてた。にもかかわらずその前に既に今日が決行日でしかもこんな遅い時間になるのだと知ってるんだろう。携帯電話だって、きーさん先輩や瑛先輩が何も言わないうちからわたしに渡してくれた。
 ぐるぐる考えて隣のタカ先輩を見上げたら、先輩はやわらかく笑った。
「ああ、瑛が三年中心に話聞いていたからそろそろかと思って。委員会まで探しに来たからミーティングやることはわかったし。真衣ちゃん、足元気をつけてな。暗いから」
「はい」
 それだけでどうしてすべてがわかるのだろう。たしかに臨時ミーティングを開くこと自体、何か進展があったということだけど。
「違った?」
「いえ……」
 違わないから驚いているのですが……それさえもわかった風にタカ先輩は笑っている。
「そんなに深く考えるようなことじゃないよ。瑛は行動がとにかく早くてね。動くと決めた日に一人でも突っ走ろうとするから、できるだけまわせる手は回すことにしてるんだ。許可書一枚、連絡ひとつでどうにかなることは意外と多いしね。書類は確かに面倒だけど、反対に言えばそれさえあれば無茶がよく通る」
 なるほど正論だ。
「ちなみに猪突猛進の瑛が俺を探しに来るっていうのは開始の合図の一つなので状況に合わせているものを用意するのです」
 先輩たちは付き合いの長い幼馴染だと聞いたことはあるけど……この役割分担は本当にすごい。その一端の瑛先輩ときーさん先輩は暗い暗い騒ぎながらも、光もない廊下をすいすい歩いてる。夜目が利くらしい。
「まっくらー」
「これだけ遅くに残るのも久しぶりだよな」
「去年の夏は毎日のように幽霊退治してたのにね――あ、いたいた。ちょっとそこの幽霊ー」
「……なんか見つかるの速くないですか……っていうか、毎日の幽霊退治ってなんですか!?」
「まあまあ。気にしないの、真衣ちゃん。ほら、幽霊だよ」
 タカ先輩が示した廊下の先に幽霊がぼんやりと佇んでいた。正確には足は見えなかったから浮いてたって言ったほうがいいのかもしれない。瑛先輩の呼びかけに耳を貸す風もなく、何かぶつぶつとつぶやいてるのだけがわかる。視界は相変わらず真っ暗で、幽霊の周りだけうすく光っているように見える。
 不思議と悪寒とか恐怖とかは感じない。……先輩たちがみんな平然としているのがうつってしまったんだろうか。頭の片隅でこれは異様な光景だとささやく声はするのだけど、怖くはないのだ。
「うーん、きーさん見覚えある?」
「俺に聞いても無駄だ」
 幽霊のすぐそばまで近づいて、二人は顔を覗きこんでいる。幽霊の足はないから正確じゃないかもしれないけど、長身に分類されるきーさん先輩より少し背が低い。
「……お前らほんと人の顔覚えないね。よく見てみ」
 少し離れたまま、というよりもわたしが今以上幽霊に近づけないように立ち止まっているタカ先輩が深いため息をついた。
「お知り合いの方ですか?」
「というか、きーさんにとってはクラスメイトでもあるはずだ」
「うーん――? あ、牧原兄!」
 指でさして大声を出したきーさん先輩に幽霊はふっと顔を上げた。
『木原に高橋に……羽村……っ』
 牧原兄と呼ばれた幽霊は瑛先輩を見た途端にさあっと顔色を変えた。幽霊も顔色って変わるのか、とあまり近づいていなかったわたしはつい悠長なことを考えた。
『おまえら何を――』
 瑛先輩は逃げ出そうとした幽霊の腕をいつの間にかしっかりとつかんでて、きーさん先輩は幽霊の背後にさりげなく回り込んでる。
『――放せ!!』
「さっさと、体に帰れ!」
 あ、瑛先輩が蹴った。
 ……あれ? どうして瑛先輩は幽霊を掴めるんだ?
 ていうか、今の、何!?

 今日はもう遅いから、とわたしの疑問がすべて封じ込められて帰宅するしかなかった、その、翌日。
 遠くにブラスバンド部の練習を聞きながらわたしたちは昨日のミーティングのように全員で机についてた。三人の先輩はすでにほとんどの事情を把握しているらしく、誰がわたしに説明するのかを仲良く押し付けあってる。
 ただ、その会話の端々でわたしはどうでもいいことだけは理解しつつあった。
 たとえば兄のほうの牧原先輩はうっかり瑛先輩が強く蹴りすぎてしばらく日常生活に復帰不可能になってるとか、なぜか妹のほうの牧原先輩から幽霊の詳細リポート(広報記事用)がわざわざ届いたとか。
「あの……いいですか?」
 だんだんただ聞いていることが苦痛になって、おそるおそる声をかけると三人はぴたっとしゃべるのをやめた。
「昨日の、結局どういうことなんですか?」
 さっきまで散々もめてたのが嘘のようにあっさりと口を開いたのはタカ先輩だった。こういうときの解説役はたいていタカ先輩だ。
「牧原はいわゆる幽体離脱体質なんだ」
「体質……?」
「何かショックを受けたり、気にかかることがあると無意識に幽体だけふらふら出てくるんだ。これまでも何度かやらかしたことがあるから、三年生は幽霊ごときには今更騒がない。去年は牧原以外にもいろいろあったけど」
「去年の主な活動は幽霊退治だったからね」
「そうそう。去年の広報はほとんど幽霊注意報だった。今年は真衣ちゃんのおかげでかなりまっとうな新聞になって先生たちにとても感謝されてる。いささか褒めすぎだとは思うけど」
 幽霊注意報……? と、とりあえず先生たちの広報に対する態度の謎がこれで解けた気がする。もともと部活動報告などのための生徒会広報に情報部の活動成果である幽霊関連記事が載っていても奇異しくはないけど、読みたくはないだろう。少なくともここ三ヶ月は普通の記事しか載っていない。
「はあ……」
「幽霊は瑛の天敵でね。触ったり蹴ったり出来るのは瑛の体質」
「あんまり便利じゃないけどね」
 ……便利とか便利じゃないとかそういう問題ではないと思うのですが、目の当たりにしてしまった後ではそういうものだと納得せざるをえない。
「幽霊騒ぎもさすがにこれからはしばらくないと思うよ。牧原先輩が幽体離脱どころじゃないし」
「あいつ打たれ弱いもんな。中間の結果がちょっと悪かったからといって思い詰めなくてもいいだろうに」
「きーさんはもう少し気にしたほうがいい。今度お前が赤点取ったら、うちの人数がまた四人になる」
 せっかく真衣ちゃんが入ってくれたのに、というタカ先輩の言葉はわたしの耳を素通りした。
 よ、にん……?
 タカ先輩、きーさん先輩、瑛先輩、わたしの四人で情報部なんじゃ……ないのだろうか。
 そういえば昨日聞いたときには気にしなかったけど、たしか――。
「うちの生徒じゃない幽霊さんは数に入れるなってこのまえ理っちゃんが言ってたよ。ひっどいよね」
 と、瑛先輩がこの前と同じ部屋の隅を――。

 わたしは、衝撃から立ち直るまで三分も掛けてしまったらしい。
 ……不覚だ。
 しかし、これまで一人だと思っていた時はすべて二人だったということは……いや、深く考えるのはやめておいたほうが懸命だろう。

 そんなわけで杣木山高等学校情報部五名(ただし幽霊含む)は今日も元気に活動しています。


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