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異形ノ島
 そこを訪なった者は、繰り返し夢を見る。
 その島の住人と、その島の営みを。
 自分の目を疑ったまま、夢にうなされる――



 ええ。
 その時は自分の目が信じられませんでした。
 今でも時々疑います……あれは本当にあった事なのかと。
 ああ、すみません。
 島の話ですね。
 僕がそこにたどり着いたのは季節外れの嵐に出会った時でした。乗っていた船が大破してしまって流されたんです。
 目を覚ましたら着の身着のままで、砂浜にいました。
 すっかり日は暮れていたのですが、丁度満月で森の中は良く見えました。砂浜との境界、まさにその場所に〈異形〉が立っていたんです。
 その体つきは普通の女性と同じでした。暗闇の中、真っ白いドレスが映えていたので最初は誰か他に人がいたのかとほっとしました。ですが、すぐに間違いだったと分かりました。
 ええ、形だけで言うならほとんど人間と変わりません。肌の色は樹肌のような濃い褐色で、手先は白いもので覆われていました。手袋だったのかもしれません。
 指の数ですか? ……特に気になった覚えもないので多分五本生えていたのだと思います。身体を包む、袖のない白いドレスは裾が長く、足下はまったく見えませんでした。髪の毛はまるで枝のような太さと色でした。眼も眼窩そのものに硝子玉をはめたような不自然さで、白目がない事にはすぐに気づきました。最も異様だったのは、顔の脇に生えた四枚の葉でした。人で言うと耳がある辺りに、鮮やかな黄緑色の、顔よりも大きな葉っぱのようなものが生えていたんです。左右に二枚ずつで計四枚の〈耳〉でした。今思い返せば、あれもたぶん一種の感覚器官だったのでしょう。
 人と同じ形をしているにもかかわらず、人と呼ぶには異様過ぎるモノでした。しかし、僕がどうにか身体を起こすと、異形は、静かに『去ね』と言いました。――人の言葉で。
 その声は、離れていたのにもかかわらず良く通って、僕の耳元で囁かれたような感覚がありました。

 冷たい海水が繰り返し繰り返し僕の傷だらけの身体に掛かってきていました。一緒に運ばれてきたとおぼしき船の残骸もそこらじゅうに散らばって、波に乗ってゆらゆらと揺れていたように思います。
「去ね。そこは人が入るべき場所ではない」
 僕の思考は怪我と冷たさのためあまり働かず、異形の言葉を認識するのにはかなりの時間を要しました。
「去ねぬのか」
 わずかに身体を動かすにも、かなりの時間を費やさざるをえません。異形の視線に耐えながらかろうじて首を左右に振ると、異形は森の内をあごでしゃくり、そのまま森の内へ入って行きました。僕は後を追い、這って森へ入ると地面の不思議な暖かさにすぐ気を失いました。


  夢ノ記憶ガアル。

  樹ノ根ガ四肢ニ絡ミ付イテ、取リ込マレテ、栄養ニサレル。
  皮下二潜リ込マレル感覚ト共二、襲ッテクルノハ酷イ脱力感――
  デモ、コレハ夢以外ノ何モノデモナイ。

  何故ナラ、僕ハ、マダ存在シテイルノダカラ。


 次に僕が目を覚ました時も、辺りはぼんやりと暗いままでした。目を瞬き、ゆっくり身体を起こして、やっと、自分がどういう状況に置かれているのかを思い出しました。僕は力尽きた森の入り口ではなく、もっと深くへと運ばれていました。
 丁度、寝かせられていた枕許に、コーヒーポットのようなものが置かれていました。手にとって良見ると、中にはぼんやりと光る丸いものが入っていました。辺りを茫洋とした暗さにしていたのはその光のようでした。
 とにもかくにも周囲の様子が知りたかったので、僕は座ったまま〈それ〉を掲げてみました。
 そして分かったのは、僕が寝かせられていたのは、木の葉を集めた上に布が置いてあるものの上だった事。僕の身体にあったはずの無数の切り傷と打ち身などが、きれいさっぱり消えている事。森の樹々には――と言っても僕の目が届く範囲ですが――全部、幹の下部に繭の様にふくらんだものが付いている事。上の方は葉っぱが生い茂っていて、何も見る事が出来ませんでした。耐水性の腕時計を信じるなら、昼前のはずなのに陽は一片も射さず、灯りはコーヒーポット以外にないという事――。
 どのくらい悩んでいたのでしょうか。気が付くとあの異形が、僕の傍に立っていました。
「目を覚ましたか。着いて来よ」
 異形は一方的にそう言い、僕が呆けている間にさっさと歩き出してしまいました。仕方なく僕も灯りを手について行きました。異形は暗さにも足場の悪さにも頓着せず、裾を引きずるドレスで楽々と先を歩いて行きます。そうして着いたのは、僕が流れついたらしき浜辺と森の境目でした。砂浜からでは果てしなく遠く見えた森から改めて眺めると、砂浜は意外なほど狭く感じました。そして、何より不思議な事はあと樹一本越せば浜辺に出るというのに――外は普通に見えるのに――森には光が一片も差し込んで来ない事でした。
「あの端に筏をつないである。あそこらは岩場だから紐をとけばすぐ流れるはずだ」
 異形は砂浜の端を示し、僕の言葉など聞く気もないように淡々とそう言いました。
「それから多少ではあるが水を積んである。少しずつ飲むといい」
「……みず……?」
「水さえあれば持ちこたえる事が出来るだろう。我らとて好きこのんで殺生をしたいわけではない。だが我らにとってこの時期の来訪者は邪魔だ。そなたはこのまま島に留めるよりも、送り返した方がいいと判断された」
 我ら、と確かに異形は言いました。
 ですが、僕が何も言えないでいる間に、異形はするりと森の奥へと消えてゆきました。
 僕はその場に縫い止められたように動く事が出来ませんでした。色々聞きたい事はもっとありました。ですが……去ってゆく異形に吸い取られたかのようにそんな気は失せて、どちらかと言えばさっさとこの島を出てしまいたくなっていました。筏で本当に助かるかどうかを疑いもせずに。
 そして僕は森の中から一歩踏み出しました。

 踏み出した途端、強い陽射しが襲って来ました。太陽は僕が思った通り、ほぼ天頂にありました。にもかかわらず森の中は完全に光が遮られていたのです。その事に気づいた時には陽射しの熱さにもかかわらず寒気に包まれました。あまりの寒さに僕は焦って筏まで走り、乗りこんですぐ紐をときました。筏はゆるやかに流れながら島の周りを廻り――その後はあまり良く覚えていません。
 ただ、気が付いたら出発港の傍の浜辺に転がっていました。筏は影も形もありませんでした。
 島の事は夢だと思いました。ですが、荷物はすべてなく、他の生存者は一人もいませんでした。遺体は一つもあがらなかったと聞きました。そして、どういうわけか僕が船に乗った時から三年も経っていました。
 何故かは、分かりません。

 僕が出来る島の話はこれだけです。


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