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邂逅
 開け放した窓から爽やかな風が流れ込んでくる。机上の紙束が文鎮の下でまるで踊るように翻った。
 その小気味よい音を聞いていたらふと懐かしい顔が頭の中をよぎった。そういえば最近顔を見ていないな、と思って、気が向いたのでちょっと指を折って数えてみた。
「……おや」
 顔を見ていない時間の長さに少し驚く。
 来る時はうっとうしいほどに顔を見せに来るにもかかわらず、来ないときはぱったりと来ない。そういう時はたいていどこか遠くへと旅に出ているのだと長い付き合いでいつのまにか知った。そういえば、今回は旅に出たのであろうきっかけも知っている。時期的には丁度あう。
「道にでも迷ったかな」
 自分で言いながら思い浮かべた情景におもわず苦笑がこぼれる。友の所為で発生しているであろう気苦労が手に取るように分かり、すこしだけ同情する。しばらく笑っていると、誰かが扉を敲いた。入室の許可を出すと、扉が開く様子もなく一人の少女が部屋の中に現れた。一人、というのは正確ではない。厳密には少女、と言うのも正しくはない。琥珀色の大きな眸と緩やかに波打つ色素の薄い髪、逆卵形の小さな輪郭、少しまろみを帯びた華奢な体躯は相手を少女にしか見せないが、実際はいわゆる〈精霊〉とよばれるものだ。性別は持たず、普通なら人型を取ることもない、神よりも不安定な生命体。
「ひさしぶり、ルウ」
 そういって目の前の小さな精霊が笑った。符帳があったかな、とルウは思う。少女はつい先刻、思いを馳せた友の養い子だった。もちろん、今では保護者被保護者という関係はすっかり脱してしまっているのだが、ルウから見ればまだまだ小さい子供のようなものだ。
「どれくらいぶりでしたか、リル。元気そうで何よりです」
「ルウも」
 と彼女は破顔した。
「最近、ディーの莫迦がまったく戻ってこないからなんとなく寂しくなったんで会いにきたの。しばらく居候しても、いい?」
 肩をすくめて、少し拗ねたような表情がよく似合う。外見年齢は人を基準にするのならば二十歳にはまだ手が届かないぐらいの年齢の割に華奢な少女は、実のところ、この世界全体で五指にはいるほど長く生きている。
 一番は〈はじまりのもの〉、二番目は〈ディー〉という名をもつ〈神殺しの神〉、三番目は何の変哲もない人間であるはずのルウ、四番目が目の前の精霊、リル。五番目が誰であるのか、何であるのかルウは把握してはいない。飛びぬけて長く存在し続けるものを容易く挙げるには、この世界はうつろいやすすぎるのだ。普通ならどんなに長生きしても人なら百年前後、精霊でもせいぜい数千年、神も万単位で生き続ければいいほうだ。肉体というものに縛られることのない神や精霊に寿命というものがあるわけではない。だが、精神的な寿命とでもいうのか、どんな神であっても十万年を超えるほどいきづづけるものはほとんどいない。その前にうつろいゆく世界を前に自らの感覚を合わせることが出来なくなり、精神を狂わせ、自滅していく。――自滅というのは正確ではない。神の死は〈神殺しの神〉によってもたらされるもので、自ら死ぬものではないからだ。
 ディーは神を殺すためだけに存在し続けている、世界に愛されすぎた神だ。そのためなのかディーはしばしば世界の壁を越えてどこかへと旅に出てしまう癖がある。今回の長い不在は、旅というにはいささか不穏な形で世界の外へとでたのだが、そのまま幸いと旅にしてしまったに違いない。
 そのきっかけは四千年ほど前に最近一万歳を越えた孫と喧嘩している最中に外へと落っこちたことだ。その時の様子をあきれ果てて、ルウにわざわざ伝えに来てくれたのはリルだ。世界が派手に揺れたため、人間はともかく多数の精霊と神が巻き込まれて命を落とした。その怨嗟がただの人間であるルウへと向かっていないかと心配してくれていたらしい。どんな精霊でも神でも多かれ少なかれ、とても長い時間を生き続けている只人の存在を知っているからだ。その心遣いをありがたいとは思う。だが、その精霊の行動にどうしようもない年齢差を人間であるはずのルウは感じる。どうしようもなく埋まることのない経験差を。
 永き生への憧れは確かにどんな生命体にも存在している。
 世界がある限りの自我の存続を切望し、かなわないと知っているからこそ子孫をつくり願いを託す。だが生への欲望を保ち続けることほど難しいこともない。その証拠は神の寿命が、よく、示している。
 うつろいやすい世界。その中で変わり続けることはどれほどの強さがいることか。現にルウは変化に耐え切れず自滅していった神を、精霊を、そしてごくわずかではあるが人間を、自分が生き続けて来た年数分は知っている。
 目の前の精霊がそれを実感していないと思っているわけではない。
 ただ、目の前の精霊との間を走る溝の大きさと深さにあらためて自分の特異性を見せ付けられ、めまいを覚える。それだけだ。
 ルウは、人間である。
 以前ルウを神にしようとさまざまな画策をしてくれた神が、彼はこれ以上はないぐらいに人間だと保障してくれている。だがその出来事すらこの目の前の精霊が生まれるよりもはるかに昔の出来事だ。
「ルウ?」
 いきなり黙りこくってしまったルウに不審を覚えたのか、リルは彼の青錆色の眸を覗き込む。彼の存年の七分の一も生きていない精霊。その生い立ちの特殊さは際立ち、彼女の長寿の理由は改めて論議されることもない。うらやましいと思う。自分よりも長く生きているふたつの存在のうちの片割れもまた、長寿の原因ははっきりとしている。そもそも精霊も神も肉体というもっとも風化しやすいものを持っていないのだから、長寿は比較的たやすいといえるだろう。
 だが……ルウは?
「ルスティ? 居候、いやならあきらめるけど?」
 涼しくも芯のある声で精霊はなおもルウによってくる。
「……いえ……少し考え事をしていただけです。どうぞ」
 ようやく部屋の入り口に立ったままのリルに気づき、ルウは精霊を部屋の隅に設置してある応接間へと促した。
「どうかしたの?」
 なにか懐かしいものを見るようなルウの視線にリルはかすかに首を傾げる。
「時が経つのは早いな、と」
 すこし、きまり悪げにルウはわらって、沸かしたてのお湯で入れたお茶をリルに差し出す。菓子受けは先日もらった土産の砂糖菓子だ。自分では消費しないので、ここぞとばかりに皿にも山ほど盛った。案の定、リルはルウの言葉に考え込むようなそぶりを見せながらも、うれしそうに菓子を口に運んでいる。そして、口内の菓子を嚥下し終わってから、口を開いた。
「そういえばね、時間を感じる速度は同じ人間であってもまったく違うんだって」
 唐突な内容に今度はルウが目を瞬いた。すこし首をかしげて無言で話の先をうながす。
「ってことは私にとってはルウに会うことはとてもひさしぶりなことだけれど、ルウからしたらそれほどでもないの?」
「うーん」
 おもわずルウはリルの単純だが難しい問いかけに考え込んだ。
 たしかに四千年ほど前の出来事を『最近』の枠にいれてしまっている自分にとっては時間の流れはとても早いものなのだろうとおもう。今、この世界にいない神とてもそれは同じだろうと推測もできる。お互いにそれぞれの生のはじめのほうで出会えたのは数少ない幸運の一つだといえるだろう。特に、神にとっては。
 だが、だからといってリルの問いかけの答えにするにはなにかが違うという感覚がつきまとうのだ。
「まあ、等加速度な体感時間というものはないとも思うんだけど……」
 ルウの考えをよんだようにリルが言う。
「なんとなくくやしいなあ」
「そうか?」
 その声はあまりにも平然と当然のように部屋に降ってわいたので、リルはとっさに反応できなかった。ルウはその反応をまるで人間のようだと思う。育った環境の所為もあるのだろうが、リルは精霊としてはあまりにも規格外だと思い知るたびに自分の異常さをこれ以上はないぐらいに思い知らされる。
「おひさしぶりです、ディー」
「ん。そっちも」
 生き続けている年数と比べるとディーと名づけられてまだ日の浅い神は、ルウの呼びかけにひどくうれしげに笑った。声だけではなく、きちんとした形ごとルウの部屋へと訪れた神は人間の外見年齢を基準にするならばやはり十八歳ほどだ。短く刈った黒い髪と黒い双眸、そして細身のしなやかな体躯はルウに猫科の生き物を連想させる。
「おかえり、ディー」
 神に名を与えた精霊はあからさまにほっとした顔でディーに呼びかけた。四千年は精霊にとっては途方もないほどに長かったから、安堵の息も長い。
「ただいま、リル」
 ルウはノックも挨拶もなしにやってきて、窓枠に腰掛けている神に椅子に座る様に指示すると、飲物の追加のために席をはずした。
「なにかリクエストは?」
「コーヒー以外」
「へ? めずらしいね」
 リルが声を上げる。なにの豆を混ぜようかをすこし考えかけていたルウは立ち止まって、椅子に上がりこんだディーを振り返った。神は行儀悪くも膝を抱え込んで椅子に腰掛けている。問いかけるような視線にディーはあっさりと言葉を続けた。
「飲みあきた。こっちに帰ってこれない間、ずっとコーヒーばかりだったんだ。お茶でいいよ。いまなら初摘みの時期だし」
「四千年前ならね」
 もういくつ目かわからないほどの砂糖菓子を口に放り込んでリルが笑う。
「今は初摘みのお茶と言うと、もう三ヶ月ほどあとの時期です」
 あてが外れて情けなさそうな顔をした、育て子に劣らないほど人間くさい神にルウは苦笑して説明を補足する。それからどうしますか、と改めて問いかけた。
「…………うー、じゃ、チョコレート」
「あるわけないでしょう。ああでも甘いものが欲しいのならそこの砂糖菓子をいくらでも食べてください。匂いだけでも甘い物を入れますから」
 もう一度湯を沸かし、なれた手順でお茶を入れる。コーヒー以外を所望するディーは珍しい、というよりも懐かしい。人型をとることはともかく、食物を摂取したりコーヒーなどの嗜好品も口にするようになったばかりの頃はえり好みもなく、さまざまな物を食べ、飲んでいた。いつの間にかコーヒーを特に好むようになっていたが。ふと、そのことに気付いて指摘した時のことを思い出してルウは口の端に笑みを乗せた。ささやかな変化。
 四千年はリルにとっては気候が変化するような大きな変化が起こるぐらい長い時間だったのだろう。だが、ルウとディーにとっては本当に小さな単位でしかない。気候の変化は当たり前だ。変わらないものなどない。その速度を感じる感覚が違うだけだ。
「はい、どうぞ」
 入れ終わったお茶を器用にも椅子上で胡坐をかいている神の目の前に置く。その口には先程ルウが薦めたからか砂糖菓子が一杯に詰まっている。かわりに少し深めの大きな皿は殆ど空になっていた。
「いただきます」
 律儀にも神は口の中の物を消化し、一言断ってからお茶の器に手を伸ばす。
「はいどうぞ。お菓子、まだ食べます?」
 みやげ物の菓子はまだまだたくさん残っている。案の定、目の前の精霊と神からは一語一句かわらない答えが返ってきた。その声の唱和がなんとなく面白くて、笑いながら皿に砂糖菓子を追加する。
 ささやかな時間だと思う。四千年前もたびたびこんな風に一人と一柱と一匹でひとつの卓をかこんでお茶を飲んだ。代わり映えのしない顔ぶれでいつも場所だけが違う。
 感覚としては数年ぶりにあった友たちと久々のお茶をかこむ程度の、ささやかすぎる時間だ。
 ルウは生まれて五、六百年で、今も目の前にいる神が存続し続けることに飽いているところにであい、その神はつい十万年ほど前に生きたいと叫んでいた目の前の精霊を拾った。ささやかな邂逅が時間の流れの速度を確実に変えた。
 存続しつづけるということは変化の連続だということを思いだす。
 一人で飲んでいたお茶は、一人と一柱になり、今では一人と一柱と一匹になった。
 時間は流れ続けている。
 こうしている瞬間にも人間も神も精霊も死に近づいているのだろう。たまに思い出したようにしか顔を合わせないこの顔ぶれで、あとどれだけお茶を飲むのだろう。顔ぶれが増えることもあるかもしれない。
 ささやかでいい。劇的に変わるなにかを期待しているわけではない。
 それでも願う。
 いつかまた、ささやかな邂逅があることを――


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