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帰還
 人である昴はたいてい家にいる。もちろん、家から離れているときもあるが、基本的には捕まえるのは簡単だ。
 精霊であるリルもたいてい決まった周期で世界中を巡っている。そちらから捕まえるのは簡単だし、昴にマメに手紙を書くから現在地はつかみやすい。
 神であるディーは〈捕まらない〉の代名詞になれる。ふらりふらりと世界中を巡っているのはもちろん、世界の外に出ていることも珍しくはない。意図しても捕まえるのは非常に困難である。

「で、どうして私の所に来るんですか?」
 と、古い友人に言われてディーは視線を宙に泳がせた。かなり長い間、世界の外に出ていて行方を不明していたので、神の発言力はほとんど無いに等しい。
「……や……」
 なんとなく一番に会いたかった、じゃ、だめかな、とディーは考える。
「会いに来て頂けるのも嬉しいですが、あなたなら私に訊かなくともリルを探すのは簡単でしょう?」
「……う……」
 どうしてわかった、とは聞き返さない。きっと「なんとなく」と返される。
「だいたい、リルに泣かれるのが嫌なら、そもそも行方を不明しなければよいでしょう?」
「……むぅ」
 彼に何か言われるたびに、視線はあがってゆき、併せて背中も弓なりになってゆき、視界いっぱいに空がひろがったとディーが思った瞬間、窓枠に座っていた神は外に落ちた。一階から落ちたので浮く暇もなく、素直に頭と背中を打った。初夏特有の青々とした草と、雨でよく潤っている土を思う存分堪能してからディーは起きあがった。部屋の中からの反応はない。落ちると思われていたのだろう。
「……仮にもヒトが落ちたんだから驚くとか心配するとか……」
 ぶつくさ言いながら窓枠に足をかけ、器用にも窓枠に立ったまま服に付いた草や土を落とそうとしたところでちょうど居間に入ってきたらしいリルと目があった。
「!」
 じ――っと見つめてくる視線から逃れようもなく、ディーはかすかに口の端を引きつらせた。
「す……昴……?」
「何ですか?」
 三人分のお茶を入れていた彼はディーの言葉にようやく顔を上げた。
「リルならあなたが来る前からいましたよ」
「……げ」
「………………げ?」
 あくまでディーから視線をはずさずリルはほほえみながら首を傾げ、ツインテールにくくった髪の毛を揺らした。
「今なにかおっしゃいました? お父様」
 ディーの中に蓄積された記憶がその笑顔に対して激しい警鐘を鳴らす。
 さらに〈お父様〉などという、リルを手元で育てていたときにはついぞ聞かなかった単語が無性に怖い。
「え…………と……」
 養父の怯えを全く無視して、精霊はにこにこ笑っている。
 思わず逃避して、確か鳥肌ってこういうときに立つんだよな、とかディーが考えていたら、あくまでにこやかに今度は名前を呼ばれた。
「ディー?」
 何か言わなければ、とディーは必死に無駄に多い記憶の引き出しをおもいつくかぎりひっかきまわしたが、もちろん徒労に終わる。この状況では何を言ってもきっと逆なでに終わるだけだ。
 が、なにも言わなくても逆鱗に触れるのは目に見えている。神は一生懸命考えた。

「――――――こんちゃ」

 空白の十秒後、ディーは再び外に落ちていた。傍らにはすさまじい勢いで投げられたサンダルが転がっている。確かめる気はなかったが顔面にはきちんと靴底の跡が付いているだろう。「こんちゃ」と言った時に片手をぴしっとあげた所為で、両手とも窓枠から離れていたから、バランスを崩すのは簡単だった。うまくサンダルをよけてもきっと落ちていたに違いない。
「お茶目な挨拶だったのに……」
 わざとらしく顔につけた跡を消さず、後頭部にわざわざたんこぶを作ってまで、ディーは拗ねた。さすがにまた落ちるのは嫌なのか、窓枠ではなく部屋の角で膝を抱えて座り込んでいる。
 対するリルもディーほど露骨に態度に表してはいないものの、深く静かに怒っていた。ソファの上で膝を抱えて座り込んでいるあたり、やっていることは育て親とそうかわらない。
 家主であるはずの昴が仲裁しようという意志もなく台所にこもってしまったため、居間はどうしようもない沈黙で満たされていた。たまにきこえてくる台所の物音は何の仲介にもならず、そのうちただ座っていることに飽きたディーが床上にのびた頃、菓子の焼ける甘いにおいがあたりに漂いはじめた。
「……ばか」
 ぽつりとリルが言った。
「……う」
 寝転がったままディーがぴくりと体を震わせる。
「ばーか」
「リル?」
 繰り返されて、ディーはリルの顔を見るべくようやく体を起こした。
「おーばか」
 甘いにおいに気がゆるんだのだろう。リルは唇をかみしめて目尻に涙をためていた。
「――わるい」
 ぽそりとディーは素直に謝罪の言葉を口にする。それからきちんと立ち上がってリルの傍へと近寄った。
「帰ってこないかと思った」
 そばに立つディーを見上げてリルは絞り出すように言う。
「ルウは、そんなことないって言ってくれたけど、あたしは怖かった」
 涙がこぼれそうでこぼれない。ディーは無言で小さな子どもにするようにリルの頭をなぜた。その暖かな重みにリルはそろりとすり寄る。
「帰ってくるよ、必ず」
 堰が、壊れた。

「……ひとでなしですね」
 泣き疲れてソファで丸くなっているリルを一瞥しただけで、何が起こったのか把握した昴はただ一言そう言った。
「お互い様だろ」
 甘いにおいにつられてリルの気がゆるむことを見越した上で、冷ました方がおいしいケーキを焼いたくせに、とディーは考える。声にまで出さないのは、今更そんな確認をとっても肯定されるだけであることがわかっているからだ。
「クッキーがありますけど要らないならしまってきます」
「待て、たべる」
 即答して、ディーは茶を淹れるために立ち上がった。入れ替わりにテーブルにクッキーを盛った皿を置いて昴がソファのひとつに座る。ささやかな暗黙の了解は既に身に染みついていると言ってもいい。
 水で満たした薬缶を火にかけてからディーは居間に顔だけ出す。
「葉のリクエストは?」
「おまかせします」
 数分後には人と神はそろってソファに座り、人は茶を、神はクッキーを堪能していた。
「それにしても今回は長かったですね」
 不意にそう言われて神は素直に頷いた。
「しばらく出てなかったから反動っぽい。きちんとかえってこれる様になるまで時間かかった」
 予想はしていたけど、と何気なく続けてはっと息を呑んだ。目の前に座る昴の反応が怖くてそろりと目線をあげる。しかし昴は柔らかく笑っていた。
「おや、予想していたんですか?」
 嵐の前の静けさのような昴の反応に嫌な予感が再び神を襲い、少し体を引いてディーはもういちど素直に頷いた。にっこりと昴が笑う。もちろん、昴はある程度の事情はしっているし、今回のディーの帰りが遅い件もリルが不安がらなければそれほど追求する気はなかった。不在時期が長かったとはいってもこれまでのなかでは飛び抜けて長いわけでもない。だが、リルにとっては何よりも長い時間だったに違いないのだ。
「ではそれをリルに説明していくこともできましたよね?」
 げ、とディーは心の中で叫ぶ。
 本当に恐ろしい時間はこれからだったらしい。
 それも帰ってくる楽しみのひとつだと言ったら、目の前の友人はますます怒るだろうか。それとも、わかっていますよと笑うだろうか。
 だが、それでもディーは帰ってくる。
 どんなに時間がかかっても、必ず帰る。
 ここに、気を許せる友人がいるかぎり――


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