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至近距離の憂鬱
 あたしは生まれつき寝起きがよくない。むしろ悪い。どれくらい悪いかと言えば、目が覚めてから一時間は使い物にならないほどである。あまりにも酷い状態なので、学校がある日にはそれを見越した時間に目覚ましをかけたりとか、日々涙ぐましい努力をしている。その甲斐あって、どんなに朝が駄目でも遅刻したことはないのよ。偉いでしょ?
 けど今日のあたしは、もう、どうにもこうにも駄目だった。どう頑張っても、動けない。動く気力ナッシング。ベッドと体がくっついてる。起きられません。
 どうしよう。どうしたらいいんだろ、こういう時は。
 確かにね、今日は祝日だから、学校はばっちり休みだよ。昼まで寝てても許されるかもしれない。でもあたしには用事があるのだ。人と会う約束が。しかもその約束をしたのはだいぶ前のことで、あたしは結構それを楽しみにしてて、だから昨日だって早く寝ようとしてた。その努力はした。自分なりに精一杯。
 なのに。
 どうしてくれよう、このおっそろしい程の眠気と倦怠感。そして怒り!
 健やかな目覚め? ナニソレ?
 眠気も酷いけど、それ以上に機嫌が。もう最悪。誰だっけ、寝て起きたら確実に機嫌も直るとか言ってたの。いくら怒ってても持続させないんだーとか言ってたよね確か。ねえ。誰だったっけね。手あげてごらん?
 はーい。あたしです。
 …………。
 ──あほか。なに一人で遊んでるんだ、あたし。
 寝起きでうまく起動できず霧がかかったような頭の中で、朝もはよからバカな一人ボケツッコミ。くだらない。くだらなすぎる。なんだってこんなことに? 一体誰があたしをこんな女にしたの?
 答えは一つ。真実はひとつ。
 そう──もうお判りだろう。
 神崎美穂菜。
 あたしの親友であり、あたしの幼なじみとくっついた万年常春頭の持ち主。
 あんにゃろうは、またしてもやりやがったのだった。



 昨晩、あたしは夕飯を終えるとさっさとお風呂に入って寝る準備を整え、九時半にはベッドに潜るつもりだった。諸事情あって予定より一時間遅れになったけれど、日付が変わる頃にはばっちり横になっていた。
 寝起きの悪いあたしは寝付きも悪い。下手をすると二時間くらい意味もなく眠れなかったりする。まったく厄介な体だけど、自分のことだし既に慣れっこなので、それくらいの予想はつくし対処もできる。だからこそ昨日は早めに行動したのだ。
 それなのに!
 思いつく限りの安眠療法をして、父の晩酌をちょっとだけわけてもらいアルコールすら摂取して。
 羊を数えながら、じりじりと眠気を誘い込んで。
 あと一つ階段を降りれば、もう熟睡というところで。


 唐突に、携帯が鳴り出したのだ。


 あたしは携帯を目覚ましとしても使っている。一つの目覚ましじゃとても起きられないから、時計と合わせて三つ使っているのだ。
 その携帯さんが、7時間くらい早く仕事を始めた。
 目覚まし代わりにしているくらいだから、当然、音量は最大。
 眠気、吹っ飛びマシタ。
 飛び上がったあたしの耳が認識したのは、相手によって細かく設定された着メロの中でも危険指数最大を誇る名曲だった。
 トッカータとフーガ。


 ちゃらりー。ミホから電、話〜。


 ──思わずそんなフレーズが頭に浮かんでしまった。
 何? なんなの。なんなんだよ! 一体なんの用だよこんな時間に! 今何時だと思ってんだお前! 一体何の権利があってあたしの睡眠を妨害する!?
 日中ならまだしも、真夜中だよ。一時七分! 何考えとんじゃ!
 寝入りばなを邪魔されたせいで、心に響く絶叫はいつもより数段激しい。いつもならともかく──と言いたいところだが、一時なんて普段から寝ている時間だった。ますますもって腹立たしい。
 携帯が普及し始めた頃だと、鳴り始めたら反射的に出るという光景がよく見られたらしいけど、あたしはいくらうるさく鳴っていようとも、相手を確認せずに電話に出るなんてことはしない。うっかり出たら風俗の勧誘だった、なーんてことになったらシャレにならないからだ。着信相手にひととおり憤りを抱いてから、とりあえず、うるさいその音源を黙れとばかりに枕の下に埋めて、あたしは自分に問いかけた。
 さあ、どうする。出るべきか出ざるべきか、それが問題だ!
 …………。
 寝る寝る寝る寝る無視無視無視、と脳内のあたしが主張した。ううーん正直者さんっ。でもねそれは当然のこと。だって人間は眠気と食欲には勝てない生き物なのだよ。生きる本能に関わることだから、仕方ないんだ。だから寝かせてくれ。つうか寝る。マジで寝る。電話なんか知らん! あたしは何も見なかった! 何も聞かなかった!
 よし寝る。決定! おやすみ!
『でもこの前電話きたとき出ないで寝たら、次の日ご機嫌ナナメで大変だったヨネ!』
 寝るに軍配が上がってばったり倒れ込もうとした瞬間、反対派の──理性とも言う──声が挙がった。うう、余計なことをー!
 いいんだ。寝るんだ。明日は明日の風が吹くの。あたしは寝るの。眠いの。たとえ彼女の機嫌がナナメになろうが横ばいになろうが知ったこっちゃないのだー。
『……でも実際ナナメになると、元に戻るまで苦労するんだヨネ!』
 …………。
 ぬあー! 心の中でちゃぶ台ひっくり返しっ。
 そうだよそうですとも大変なんてもんじゃありませんよ、ミホさんの機嫌損ねたら! あんにゃろう朝の挨拶もしないで一日中シカトこくのよ。ただ電話に出なかっただけで! 横暴だわ。あたしはいつも通りの時間に寝ただけなのに、あたしと電話するのそんなに嫌? とか言って拗ねまくったんだよ。なんなんだよ。眠いから寝て何が悪いんだ!
 むぅーうー。
『どうするぅー? 後で後悔するって判ってて、それでも寝るぅ?』
 寝たい。今ならきっと寝られる。今ならまだ間に合う。そして明日は早起きしなきゃならないとなれば、寝る以外の選択肢なんて思い浮かばない。
 でも。
『下手すると一日拗ねるだけじゃすまないかもしれないヨ〜』
 ひーどーいー。ひどすぎる。あたしが一体何をしたって言うの!?


 散々悩んで迷って。眠気と戦って。
 その間も延々鳴り続ける携帯に根負けして、結局あたしは通話ボタンを押したのだった。
 完全な負け犬だわ。笑ってやって、こんなあたしを。
 あは。あははは。あははははははは。
 うわーん!


 すごい眠気。
 寝付きの悪いあたしにしては信じられないくらい。いっそミラクルと言ってもいいほど。こんなに眠くなるなんて夢のようだ。もしや今、あたしは夢を見ているの? 眠い眠いって思い続ける夢なんて初めてだわ。すごいねあたし。夢の中でも寝たいのね。
「もーうっ。なかなか出ないから寝ちゃったのかと思ったよー」
 電話が繋がったと知るやいなや、開口一番ミホはぶうたれた。
 寝てたんだよ。まさに熟睡一歩手前だったんだよ。今何時だと思ってるんだ。寝てて何が悪い。眠くて何が悪い。なぜ寝てはいけないのだ!
 際限なく文句を言いそうになる口をどうにかこうにか押さえ込んで、あたしは呻きとも相づちとも言えないような声を返した。
「んで……どーしたの一体。何が起きたの?」
 うー、だめ。脳の9割が寝てる。いつもならミホが言いたがってることを先読みしたり、口調の微妙な変化で機嫌も感知したりするんだけど。今はそんな余裕なし。頭の中が「ね」と「む」と「い」で埋め尽くされてるよ。すなわちねむい。ああ、眠い。
「それがねー、聞いてよっ」
 聞いてるだろ。何だよ。早く言えよ。寝かせろよ。眠いんだよ。寝るんだよ。
 意識が飛ぶぅ〜。瞼が重いぃ〜。
「電話が来ないのー」
「来てるじゃん、今まさに……」
 あんたが今してるのは一体なにさ。これが電話でなかったら何なのさ。んん? 言ってみろほら。ええおい。
「ちーっがーうっ。寝ぼけてるの? そうじゃなくてー。彼氏さんの方っ。いつもは寝る前におやすみって電話してるのー。でも今日はまだかかってこないんだよー」
「は……」
 なんだそりゃ。そんな理由でわざわざ電話してきたの?
 寝ぼけてるかだって? 寝ぼけてるよ! 悪かったな!
 それからいい加減自分の彼氏のことを彼氏さんて呼ぶのやめろよ! どういう神経なのそれは? 恥ずかしくないのか人として。あたしは恥ずかしいぞ。だって彼氏ってあいつだもん。聞くたびトリハダが立つんだけど。
「どうしよー?」
「どうしようって……」
 あたしは呆れを通り越して呆然としてしまった。どうするも何も。そんなくだらない用で電話なんかしてこないでよ! というか、電話が来なくて気になるって言うなら、あたしじゃなくてあいつにかければいいじゃないか。なぜそこであたしに電話するかなあ?
「ケンカしたとかじゃなくて……?」
「してないよー」
 これだけ釈然としない思いでいるのに、それでも相談にのってる自分がいる。自分でも不思議だわ。きっともう条件反射なのね、これ。あたしって人間はそういう体になっちゃってるのね。ひょっとしてあたしって日本一のお人好しかも? ああ──否定できない。
「今日はご機嫌だったもん」
 ご機嫌だったのはあんたなんじゃ? と内心でツッコミ。もちろん口には出さない。出す勇気も気力もない。
「なんかあったのかなあ……」
「うーん……」
 悩むふりをしながら、あたしの中じゃ既に一つの結論が出ていた。


 寝たんだろう。


 それ以外に何があるの? ないでしょう。
 おおかた、部活で疲れて家に帰り、お風呂入ってご飯食べたらそのまま意識を手放したんだろう。よくあることだ。
「どうしちゃったんだろう、もう……。ねえ、あたしどうしたらいいと思う?」
 らしくない気弱な声ですがるように訊ねるミホに、あたしが返せるのは二文字だけだ。


 寝ろ。


 それ以外に何があるの? ないでしょう。
 ねえお願いだからさ、もう寝ろよ。寝かせてよ! 明日早いんだってば!
 あああまずい。非常にまずい。だんだん眠気が薄れてきちゃったよ!
 さっきまですぐ側にいた眠りの妖精さんが、今は遠ざかってばいばいって手を振ってるよ。待って。行かないで。あたしを置いてどこへ行くのー。かむばーっく。戻ってきてー。お願いだからあたしを見捨てないでー。
「そんなに気になるんだったらー、電話してみればぁー……?」
「うーん。でも、今からだと迷惑じゃない? こんな時間だし……」
「…………」
 その気遣い……なぜあたしには適用されないかなあ。ねえ。あいつが相手だとそんなに殊勝になるくせに、どうしてあたしが迷惑してるってことには気づかないの? なぜだ。言ってみろ。こら!
「じゃあー、明日の朝に電話して、訊いてみればいいんじゃない?」
「うーん……」
 気のない返事。ためらいを見せながら、ミホは言った。
「でもねー、明日は一緒に映画見に行く約束してるの」


 …………。


 だったら直接訊けばいいじゃん……。デートしてる最中に。あいつの口から。直接! 聞けば! いいでしょう!!
 寝てました、って。
 悪いけど確信してるから。それ以外の理由なんてあり得ない。絶対、電話するの忘れて寝ちゃっただけだって、あいつは。
 ──って、明日、デート?
「ミホ……明日デートなんだったら、もう寝た方がいいんじゃないの?」
 あたしは至極もっともな意見を、でも実は自分がそうしたいってだけの意見を、さも彼女を心配しているかのような口調で言った。いやいや、彼女の体調ももちろん心配だよ。でもそれ以上に自分の体調が心配なの、あたしは!
 けれどそんなあたしの思惑をよそに、ミホはあっさりのたまった。
「んー……でもねー、なんか明日が楽しみで浮かれちゃって。あんまり眠くないの」


 あたしは激しく眠かったんですが。


 うう……もう過去形……。眠くないわけじゃないけど、意識が確実に浮上しちゃってる。その分体がだるくなってきている……。どちらにしても今の状況はまずい。今すぐ頭を枕に乗せて目を閉じなければ。閉じさせてください。寝かせてくださいー。このままじゃ徹夜になっちゃうよー。それは嫌あああ。
 あのさあミホ。別に明日が初めてのデートってわけじゃないでしょう。なのになぜ楽しみで寝られなくなるほど浮かれるのかなあ? 幼稚園児か、あんたは?
「でもさあ、ミホ……」
 子供じゃないんだからとっとと寝なよ。そう言ってしまいそうになって、あたしは慌てて口をつぐんだ。いかんいかん。そんなことを言ったら最後、夜が明けて昼になってもう一度夜が来るくらいまで拗ねられてしまう。そんな面倒くさいことにはなりたくない。あたしは脳みそを振り絞って、ミホに一番効きそうな絡め手で攻めることにした。
 口調を丁寧にして、もう一度忠告。噛んで含めるように。
「明日、デートなんだったら。ちゃんと寝ないと駄目だよ」
「んー……そう思うけどー」
 うじうじ言うのは無視して。
 すぅっと息を吸ってちょっとだけ間をあけて。
 そしてきっぱり言う。
「寝不足でブスになった顔、あいつに見られてもいいの?」
「!!」
 ぼそっと言ったセリフは、予想通りの効果をもたらした。電話口でもはっきりとミホが息を飲むのが判った。よっしゃ大成功。
「そ……それは嫌あああ!」
「んじゃ寝なさいって。ね?」
「ね……寝る。寝ます。いやーん目赤くなってたらどうしようー。隈できてたらサイテー」
「今から寝れば遅くないから。大丈夫だよ」
「ほんとにー?」
「ほんとほんと」
 確証はどこにもないけどね。まあそれは言いっこなしよ。
 とにかくブスの一言が効いたようで、ミホは挨拶もそこそこに、ようやく電話を終えてくれた。おめでとうあたし。お疲れさまあたし。よくここまで頑張ったね。偉いねあたし。自分で自分を誉めてあげたいわ。って、もう誉めてるか。
 ふー。
 これでようやく寝られ……寝ら…………ね…………。
 …………。


 ああ……寝たいのに。心の底から寝たいのに。
 眠気がすっぱりかき消えた…………。




 どうにかこうにか起きあがって顔を洗いに洗面所に行ったら、鏡の向こうに死人みたいな顔をした女がいた。
 誰ですかこれは。
 はーい。あたしです。
 ────うわーん!
 目は充血してるし隈はくっきり出来てるし、肌もぼろぼろに荒れている。ひどい。ひどすぎる。あたし今日こんな顔で外に出るんですか? 本気で? いーやーだーあ。
 はああ。ため息。憂鬱だわ。
 だって、ねえ。
 この顔で街を歩くってだけでも充分嫌だけど。それ以上に。
 どうして気づかないかなあ。
 そりゃ、言わないあたしが悪いのかもしれないけど。でもこういうことってわざわざ友達に言うようなことでもないと思うのよ。なんか自慢してるだけにも思えるし……。
 ──彼氏できました、なんて、さ。
 と言っても実はミホたちがくっつくよりも前の話だから、今となっては彼氏いるんですというのが正しい。でもそんなこと言える? 言えないよ、あの子には!
 だってもう、全力で喜ぶ彼女の姿が目に浮かぶもん。
 えーえーいつからいつから? どういう人? かっこいい? どんな出会いだったの? びっくりだよー。良かったねえー。今度絶対会わせてね! Wデートとかしようよー。愚痴とかも聞くよ。いつも相談乗ってもらってるし、絶対だよ。うわー、でもちょっと想像できないかもー。いつもどんな話してるのー?
 きっと少女漫画顔負けのキラキラ瞳でこう言ってくるに違いない。それはもう自分のことみたいに喜んで。ミホは根本的にいい子だから、本当に単純に喜んでくれるだろう。自分にも彼氏がいることだし、妬むなんてことはなさそうだ。
 でもね。
 無理。絶対言えない。そんなこと。
 だって恥ずかしいんだもん!
 相手は従兄弟で七歳年上でしかも家庭教師もしてもらってて以下略、だなんて、まるでへたくそな恋愛小説だ。今時ないよそんな展開は。なんでこんなことになっちゃったんだ。自分でも不思議で仕方ない。
 そんな話を、あの少女漫画大好きなミホにするわけにはいかない。話したら最後、飛び上がって喜ぶだろう。喜ぶあまり学校中に広めそうだあいつは。それは嫌だ。嫌すぎる。
 でも。
 鏡を見ながら、あたしは、恥を忍んで正直に告白するべきかなあ、と思った。今回のようなことがそう何度もあっちゃたまらない。あたしだって前日はゆっくり寝て、ご機嫌で会いたいのだ。
 ううーん。
 学校中にばれるのと、前日の夜中に電話されるのと、一体どっちがマシだろう。
 ううーん。
 いや、待てよ? よく考えれば、彼女が電話するような事態にならなければいいんじゃないか。そもそもの原因は毎日の習慣を忘れて寝こけたあいつにあるのだから!
 あーうー。あーうー。ううー。
 ミホには悪いかもしれないけど。あたし別に、彼女を妬んだり恨んだりしてるわけじゃないんだけど。
 でも──やっぱりこっそり願ってもいい?


 別れてくんないかな、あんたたち。
 誰のためでもなくあたしのために。


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