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たなばた、たなぼた
 レポートを書いている間に日付が変わった。
 桜はぼんやりと、赤丸がたくさん並んだカレンダーを見上げた。
 ──今日は何日だったっけ。レポートの提出日まであと何日あるんだっけ……
 七月に入ると大学の授業はどこも佳境に入り、それに伴って次々にレポートが課せられる。サボりまくっていた学生たちもレポートを提出するため、あるいは試験内容を聞くためだけに出席するようになる。七月とはそんな季節なのだ──大学生にとって。
 そしてどちらかといえば真面目な部類に入る桜は、出席票を代筆してもらったりノートやプリントをコピーさせてもらうようなこともなく、それなりに自力で大学生活を送っていた。レポートをコピーして回してくれるような友人も先輩もいない桜は、ひたすらパソコンに向かうしかない。
 自慢になることではないが、文章を書くのは苦手だった。
「今日は七日かぁ……。って、七月七日!?」
 七夕じゃん!
 思わず椅子を蹴倒すように立ち上がってしまった。七夕! 織姫! 彦星!
 日本に古くから伝わる、ロマンス溢れる日ではないか!
 桜は窓を開け、ベランダに出てみた。夜空の向こうで、今年あの恋人たちは会えるのだろうか?
 といっても、桜は別にとりたてて七夕ロマンスが好きというわけではない。実のところ、行き詰まったレポート作成から少しの間逃避したいというだけだった。
 深夜の風は心地よく桜の髪を揺らす。日中には汗をかく季節になっていても、夜はまだ涼しい。しかしあいにくと空にはうっすらと雲がかかっていて、天の川どころか星ひとつ見えなかった。
「あーららー……」
 ベランダの縁によりかかりながら、思わず落胆の息がこぼれた。どうやら今年は会えないようだ。かわいそうに、織姫も彦星もさぞかしがっかりしているだろう。
(……って、よく考えたら明日の夜じゃん、会うの)
 ふと重大なことに気づいた。織姫と彦星が会うのは七日の夜から日付が変わるまでで、今はまだかささぎの橋がかかるのを首を長くして待っているところではないか。七日になった時点で会いに行っていたら、二人は揃って朝帰りだ。恐ろしい。
(アホだなーあたしも……)
 空から地面に視線を移すと、まだ夜中だと言うのにゴミ出しをしている中年女性が見えた。──明日は燃えるゴミの日だ。資源ゴミならともかく、生ゴミを夜中に出すのは完全にマナー違反だが、野良猫やカラスにしてみれば食べ物にありつけるチャンスかもしれないよねえ、と桜は他人事のように思った。ゴミ捨て場の管理をしているわけでもないので、朝までにゴミが荒らされようが桜は別にどうでもいい。
 そんなことより今一番大事なのは、数日後に提出せねばならないレポートだ。
 現実に立ち戻り、ため息をつきながら桜は部屋に戻った。
 そして、ひっと息を飲んだ。

「こんにちはー! あ、まちがった。こんばんはー!」
 ほんの数分ベランダでぼんやりしている間に、なぜか部屋の中に一人の少女が立っていた。
 真っ赤なコートに赤い三角帽。手にはきらびやかな装飾が施された杖を持っている。帽子の先っぽにはお星さままでついていた。──端的、かつ簡潔に言い表すならば、これは──その、なんというか──
「……! ……!?」
 驚愕と衝撃と不審にうち震える桜をよそに、天真爛漫な笑顔を浮かべて少女がご挨拶をした。
「えっと、はじめましてっ。わたし、ティアルンって言いますっ。魔女っ子です!」
「──!!」
 桜は声にならない叫びをあげ、ずざざざっと後ずさった。筋肉痛になりそうなほど顔を引きつらせて。
 今こいつなんて言った!?
(まっ……まじょっ……)
 外見だけでうっかり頭に浮かべてしまいそうになり必死に打ち消した言葉。それを、輝くような笑みを浮かべながら、ストレートになんの躊躇いもなく少女は言った。
(まじょっこぉー!?)
 桜は思わずふらりとバランスを崩し、開いたままだった窓のサッシに頭をぶつけた。
「……なに……夢? あたしは夢を見ているの? そうかそうかレポートのせいか。あまりにも進まないからって、幻覚を見るほど疲れていたとは……。今日はもう諦めて寝るか」
「──あのー、なにをおっしゃってるのかよく判りませんけど、夢でも幻覚でもないですよー」
「嘘つけえ!」
 噛みつくような勢いで桜はつっこんだ。びしーっと、自称魔女っ子を指さし怒鳴る。
「人がちょっと現実逃避してる間に……一体どこから入った! しかもなによその魔女っ子って! 脳みそ沸いてんの!?」
「え……の、脳みそは正常です、たぶん。入ったのはそこの姿見からで──あ、土足ですみません」
 魔女っ子はあたふたと履いていたショートブーツを脱ぎ、玄関に置いてきた。意外に常識はあるらしい。しかし桜はそれどころではなかった。
「姿見はドアじゃなくてただの鏡だっ。そんなところから入って来る人間がいるか! 不法侵入で警察呼ぶよ!」
「ええっ、それはこまりますー。わたしこれでもお仕事に来たので……」
「仕事ぉー? なによ、うちにはお金なんてないわよ! ただの学生だもん」
「いえあの、泥棒しに来たわけじゃなくってですね。わたしは魔女っ子なのですよ」
 わたしは魔女っ子なのですよ。
 その一言で全てに説明がつくとでも思っているのか、魔女っ子はその純粋無垢な瞳をまっすぐ桜に向けた。
 対して、自分を魔女っ子と言い切るイタイ少女を目の当たりにした桜は、頭痛を覚えてずるずると座り込んだ。
「話の通じない不法侵入者……ゴから始まる我が天敵よりも強い害虫が現れるとは……」
 魔女っ子という言葉に夢もロマンも感じない女は、逆に萌えを感じる人が聞いたら殺意を抱かれても仕方ないような言葉を口走った。
「害虫って……ひどいです。わたし、虫じゃありませんよう」
 結構ショックを受けたらしく魔女っ子は無駄にでかい瞳をうるると潤ませた。
「……ぅえ」
 イタイ女が目を潤ませる光景に、桜はヤンキー座りになってさらにひどい呻きを漏らした。がしがしと髪をかきむしり、夢なら覚めろと念じながら頬を引っぱるが、やはりというかなんというか、痛いだけだった。
「なんの因果でこんなもんがあたしの部屋に湧いて出るのかなー……。あたしってそんなに日頃の行いが悪いのかなー……」
 強く引っぱりすぎて赤くなった頬をさすりながら桜はぼやく。
「どうせなら魔女っ子スキーとか言ってる男の家に行けばいいじゃないのよ……。諸手をあげて歓迎されるでしょーに」
「いえ、違うのです。桜さんは日頃の行いと運が良かったので、わたしの仕事先に選ばれたのです」
「はーあー?」
 座り込んだ桜に合わせてか、魔女っ子は正座をし、真摯な眼差しで語った。
「わたしは魔女っ子です。選ばれた人のところへ行って、願いをひとつ叶えるのがお仕事なのです」
「…………」
「だから桜さん、なにかひとつ願い事をしてくださいなのです」
 魔女っ子──そういえばティアルンとか言っていたか──はとても嘘をついているとは思えない表情でそう言った。桜は非現実的にもほどがあるこの状況に、とてもではないがついていくことができない。
 真顔の魔女っ子に対し、うろんな表情を隠そうともせずに桜はうさんくさげに魔女っ子を見つめた。
「悪いけど、そりゃ信じろって言う方が無理でしょ。なんでもいいから帰って? つか、出てって」
「……そ、それはできないのです……。わたしはお仕事を完了させるまで帰れないのです」
「うざ……。じゃあ帰れっていうのを願い事にするってーことで」
「そんなあああ。それでは来た意味がありませんー」
「そもそも呼んでないっつーの! あんたが勝手に来たんでしょうが!」
「そ、それはそうなのですが……。あの、本当に、なにかありませんか? できることとできないことがありますが、わたし、頑張っちゃいますよ?」
 なにをどう頑張っちゃうというのだ。
 桜は再びこめかみを押し揉みながら内心でつっこむ。きっとこんなことを言われたら狂ったように喜ぶ男も世の中にはいるのだろうが──桜はただ頭痛がするだけだった。
(頭痛薬飲むかな……)
「えっとえっと、ほら。冬にはサンタクロースっていうのが来るでしょう?」
 信じてもらえていないのを悟ってか、魔女っ子は腕をぱたぱた上下させながら懸命な顔でたとえ話を持ち出した。
「はぁ? ……まあ本当に来るわけじゃないけど、そういう話もあるわね」
 サンタを信じる年齢でもない桜は、かなり斜めな相づちを打った。
「魔女っ子は夏に来るサンタクロースのようなものだと思ってくれればいいのです。プレゼントの代わりに願い事をひとつ叶えるのです!」
「…………へえ──え」
(んな話、聞いたこともないっつの……)
 しかし、そろそろ桜もこの魔女っ子が仕事を終えるまでは帰るつもりが毛頭ないらしいということに気づいていた。警察を呼んでしまうのが一番手っ取り早い気もするが、お世辞にも綺麗に片づいているとは言えないこの部屋に警察を呼ぶのは少しばかり躊躇うものがあった。それに事情聴取となると余計な手間がかかる。
 ──めんどくさいなー。
 ただでさえレポートで頭が痛いというのに、自称魔女っ子が姿見から不法侵入してきましたなどと言っても、それを信じるほど日本警察は甘くないだろう。
 とっとと帰ってもらうためには、適当に何か願い事とやらを言ってやるしかないかなあ、と桜は諦め混じりの決断を下した。
 ため息まじりに、口を開く。
「願い事ねえ……。ひとつだけって言ったよね」
「はいです」
 この口調が無性にかんに障る、と桜は密かに顔をひくつかせたが、どうにか堪えた。
「なんでもいいわけ?」
「えと……一応制限があるのです。魔女っ子にもやっていいこととダメなことがあってですね」
「あーじゃあ適当に言ってくから、できるかできないかだけ答えて」
「あ、わかりましたです」
 しかし、いざ願い事をどうぞと言われても、人間そうそうすぐには出てこないものだ。桜は投げやりに思いついたことをあげていった。
「んー……じゃあ学校の単位が欲しい」
「……む、むりです」
「片づけなくても整理整頓されてる部屋が欲しい」
「それもむりですー……」
「じゃあレポートやって」
「できませんです……」
「新しいパソコンが欲しい」
「……ごめんなさいです」
「靴が欲しい」
「すみません……」
「……あんた本当にやる気あんの?」
「やる気はあるですよ! でも──でも……!」
 魔女っ子はぐすぐすと泣き出してしまった。持っていた杖を手放し、ポケットからハンカチを取り出してちーんと鼻をかむ。
「……ティッシュくらいくれてやるから、ハンカチで鼻かむのよしなさいよ」
「あああありがとうございます……」
 桜が差し出したティッシュを箱ごと受け取り、魔女っ子は数枚消費してきちんとごみ箱に捨てた。
「わたし……お役に立てませんか」
 しょんぼりと眉尻を下げる魔女っ子に、桜はさすがに罪悪感を覚えた。──さすがに願い事が適当すぎただろうか。しかし、これというものが思いつかないのも事実だ。
「他人に叶えてもらう願い事って言ってもねぇ……。そう簡単には思いつかないなあ」
「はうう……。でもわたし、今日一日しかいられないのです……」
「……じゃあ一日たったら帰れるってことなんじゃないの?」
「そ、それはそうなのですがそれでは困るのです! わたしはお仕事をしに来たのです!」
「……面倒くさいなあ……」
 魔女っ子が叶えられそうな願いを考えてやった方が早いかな、と桜は思った。しかし、この見てくれはかわいいがうさんくささが際だっている少女は、一体何なら叶えられるというのだろう。
(……うーぬ……)
 思いつかない。
 しかもだんだん眠くなってきてしまった。──そういえば昨日も夜遅くまでレポートをやっていた。疲れが出てきているのだろう。
 ああレポートどうしよう、と霞がかった意識のまま、桜は先程も見たカレンダーを見上げた。──そうだ、今日は七夕なのだった。織姫と彦星が一年に一度だけ会える日。でもそれは天気によって左右されてしまい、七日までに梅雨から抜け出せない昨今では、二人が会える確率は低下の一歩を辿っている。
「ああ……晴れの日にしか会えない恋人ってのもかわいそうな話よねえ」
「はい?」
「だから、雨の日にも会えればいいのにって」
「……恋人がほしいのですか?」
「んあ?」
 ぼーっとしていた桜は、なぜか嬉しそうな魔女っ子の声にほんの僅か意識を覚醒させた。
「それなら叶えられるですよ!」
「え?」
「桜さんの理想の男性をイメージしてくださいなのです! それで恋人を作るです!」
「は?」
 魔女っ子はすっくと立ち上がり、杖を高らかに掲げた。──杖の先端から光が溢れ出す。
「イメージしてくださいです! 理想の男性像を!」
「……理想のだんせいー?」
 まばゆい光に照らされながら、桜はぼーっと思考をめぐらせた。
「そうだなー。かっこよくてー背高くてー……そんで優しくて気配りができて」
(……最近別れたあいつみたいのは嫌だから──)
「一日に30もメールとかしてこない、うざくないのがいいなー。毎日会わなきゃヤダとか言われるのもううんざり。あたしの時間はあたしのものなんだから自由に使わせろっての……」
 いつもいつでも彼氏のことばかり考えていなきゃならないなんて、冗談じゃない。恋愛をかなり淡泊に考えている桜は思う。
 たまに会うからこそ、愛しさもひとしおになるんじゃないか。会って話をしている時に幸せだと思えなければ、恋愛なんてやってられない。
「会うと無条件に好きーって思える人がいいよねえ……」
 ──光はどことなく安らぎをもたらす暖かさに満ちていて、桜は呟きに似た言葉を唇に乗せながら、徐々に眠りに落ちていってしまった。
「わっかりましたーっ。了解なのですっ。お任せなのです!」
 自信に満ちた魔女っ子──ああ名前はなんと言ったっけ──の声を遠くに聞きながら、桜は熟睡への階段を降りていき──

「お仕事完了なのです! 桜さん、ご協力ありがとうでした! それでは、わたしはこれにて退散なのですー。さようなら〜!」
 魔女っ子は任務完了に喜びながら、来た時と同じように姿見を通って帰っていった。
 しかし、完全に寝入ってしまった桜はそれに気づくことはなかった。

「──桜。桜、起きて」
「んー……?」
 聞き覚えのない声に呼ばれ、桜はうっすらと目を開けた。──見知らぬ男の顔が、視界いっぱいに見えた。
「──うわああああっ!?」
 瞬時に覚醒する。奇声をあげて飛び起きる桜に驚きもせず、青年は柔らかに笑んだ。
「おはよう」
「なっ。だっ。ええっ!?」
 誰だ! 一体なにが起きた!
 驚きおののく桜は、無意識に後ずさって、自分がベッドに寝ていたことに気づいた。
(……あれ?)
 昨日はいつ寝たのだろう。確かレポートをやって、途中で日付が変わって七夕だと気がついて、それでベランダに出て──そして。
「…………」
 呆然とする桜に、青年はぽんぽんと頭をなでながら言った。
「俺、月夜(つきや)ね」
「……はあ」
「よく寝てたねー。暇だったから部屋の掃除しといたけど」
「はあっ!?」
 見れば確かに、警察を呼ぶのも躊躇われる惨状だった部屋が、見事に片づけられている。散乱していた服も本もゴミも全て整頓され、掃除機までかけられていた。
 あんぐりと口を開けたまま桜は言葉を失った。──女としてのプライドが、粉砕された。
 いやいや、問題はそんなことではない!
「そうじゃなくて、あの!」
 混乱を振り払おうと頭をふり、桜は青年を見つめた。あなたはどこのどなた様ですか、なんでここにいるのですか──そう訊こうとしたのだが。
 息を飲んだ。
(な、な……)
 確かに初めて見る顔のはずなのだが、なぜか無性に好意を抱いてしまった。──それはひとめぼれとも言える不可解な現象で。
「どうかした?」
「あ、いえ、あの、その」
 首を傾げながら浮かべる笑みに、なぜか見とれてしまう。顔のつくり、口調、しぐさ、雰囲気──青年の全てに桜は魅了されてしまった。自然と顔が赤くなる。
「ええええ……?」
 困り顔で俯く彼女に、月夜と名乗った青年は事情を察したのか、しゃがんだ膝に肘をつきながら訊ねた。
「覚えてない?」
「な……なにをでしょうか」
「昨日の夜。魔女っ子のティアルンに会っただろ?」
「…………」
 魔女っ子──
 無意識に桜はこめかみをぐりぐりと押した。あれは、夢ではなかったのか──!
「あ……あいつはどこに!?」
「ティアルンなら俺を作ってさっさと帰ったけど」
「おおお……」
 呼んでもいないのに現れて、願い事を強要したあげく男を一人残して帰ってしまうとは。かわいい顔をしてやってくれるではないか、魔女っ子め!
(どこまで非常識なんだあの小娘ー!)
 怒りにわなわなと震える桜をよそに、青年はさらに続けた。
「で、その時願い事をしただろ? ──その結果が俺なわけ」
「願い事?」
「恋人でしょ?」
「うああああああああああ……!」
(あたしのバカー!!)
 よりにもよってなぜそんな願いを! ていうかなんでそんなもんに限って叶えられるとか言うのだ、あの魔女──違う、魔女っ子めが!
「桜がイメージした結果が俺のはずなんだけど」
「うぉおおおおおお……!」
 思わず耳を両手て硬く塞いでしまった。確かに、確かにその通りなのだが、それを当の本人の口から聞きたくはなかった。
 しかも、信じがたいことに、確かに願い事は叶えられていた。──かっこよくて優しくて気遣いができる男。会うと無条件に好きと思ってしまう男。
 ──初対面で好きーとか思ってしまった。もう! 顔を見て10秒で!
(やばい!)
 適当なことを言っただけだったのに──しかも眠気でぼーっとした頭で──本当にその通りのことが起きてしまうなんて。
(助けて!)
 ベッドにつっぷして桜は魂の叫びをあげた。どうしよう、どうしたらいいのだ。
「桜」
(その声で名前呼ばないでー!!)
 内心で悲鳴をあげる。けれど心の奥では本能が歓喜していた。よく知りもしない男なのに、名前を呼ばれただけでこんなにも嬉しい。
「桜、聞いて。大事な話があるんだ」
「な……なんですか……」
 耳を塞いでも聞こえてきてしまう声に、桜は息も絶え絶えに答えた。月夜はとても真剣な表情で、重々しく桜に告げた。
「俺はティアルンに作られた。だから、制約があるんだ」
「制約……?」
「そう。俺が桜と会えるのは、ティアルンが来た日──七月七日の24時間だけなんだ」
「……は!?」
「彼女は七夕にしか仕事ができない身だから……」
「ええ!?」
 再び、桜は勢いよく身を起こした。迷いなく枕元にあるデジタルの目覚まし時計を見る。──午後四時。一体どれだけ寝ていたのだ、自分は──!
「あと八時間……!?」
「うん」
「い、一年に一日だけ!?」
「……うん」
「な、な──!」
 それでは、まるで──織姫と彦星ではないか!
 昨日の夜、空を見上げながら他人事のように考えていたあの話と同じことが自分の身に起きるなんて──
「あ、でも安心して。桜がティアルンに言った通り、雨でも会えるから」
「……あああああ……」
 なぜだろう、彼の言葉は喜ぶべきもののはずなのに、桜は脱力を禁じ得なかった。まさか、ぼんやりして適当に口走ったことがこんなところで結果を生もうとは。
(でも、言っといて良かった!)
 来年の七月七日が晴れである可能性は低い。一年に一度しか会えないという状況はにわかには受け入れがたいものだったが、少なくとも天気に左右されることだけはないのだ。
「あと、これはティアルンがサービスでつけてくれたんだけど」
「はい?」
「月が出てる夜には電話とメールができるから。──新月と雲が出てる日は無理だけど。桜が電話して欲しいと思えば、俺から電話するから」
「……な……なにそれ?」
 なぜ月が見える夜にだけそんなことが出来るのか、なぜ電話とメールだけ、なぜこちらが望んだら電話するなどと言うのか──
 心が読めるわけではないだろうに、桜が抱いた疑問に月夜は全て答えた。
「桜の時間は桜のものだから、俺はそれを邪魔しない。メールも電話も欲しいならするけど、いらないならしない。──月の出てる夜っていうのは、俺の名前が月夜だから」
「あ……!」
 月夜という名前による制限以外は、全て桜が自分で望んだことだった。
 一日に30もメールしてこない、うざくないのがいい、と彼女は確かに言ったのだ。
 理想的といえば理想的な男だった。そうだ、理想の男性像をイメージしろと言われて、考えたとおりになったのだから当たり前なのだ。
 けれど、それで本当にいいのだろうか──?
「あたし……あいつのこと全然信じてなかったからすごい適当なこと言っちゃったよ……。どうしよう!」
「……なにか不満が?」
「不満じゃなくて……! あたし、ちゃんと考えてなかった。こんなことになるなんて、思わなかった! ──月夜は、人間なの?」
 一年に一度しか会えない恋人。
 月が出ている夜、そして桜の都合のいい時にだけ、連絡をくれるという彼。
 桜にとって、あまりにも都合のいい──都合の良すぎる相手だ。全ての主導権を彼女が握っていて、彼はただ彼女の願う通りにするだけ。それでは、月夜という人格はあってないようなものではないか。
 けれど、月夜は泣き出しそうな桜を抱き寄せ、優しく言った。
「桜がイメージしている時に人って言ったから、俺は人間だよ。ただちょっと会いにくいだけで。……桜は、それじゃ嫌?」
「あ、あたしは……。あたしより月夜はそれでいいの!?」
「俺は結構幸せっぽいけど。そういう作られ方されたし」
 人間と言いながら、魔女っ子による得体の知れない力で作られた青年は、非現実的なことをするりと口にする。桜は泣きたくなった。──どこまでも桜にとって都合のいい男だ。それでいいのかと理性が問うが、本能は彼に抱き寄せられ、声を聞くだけでとろけそうだった。
(う、うあああん。もう、判ったよ判りましたよ。受け入れればいいんでしょこれを!)
 魔女っ子め、今度会ったら絶対殴る!
 悔しさと苛立ちと、ほんの少しの感謝を胸に抱いて。
 桜は感情の赴くがまま、月夜の背中に腕を回した。

 日付が変わる寸前。
 抱き合って口づけを交わしながら、桜の頬を一筋の涙が伝った。──この八時間で二人はできる限りのことをした。心は分かち合うことができたけれど、刻一刻と迫る別れの時に名残は尽きない。
「……泣くなよ、桜」
「うん……」
「望めば電話でもメールでもするから。月が出てる夜だけだけど」
「……それって月が出てても朝とか昼はダメってことだよね……」
「うん、まあ」
「くっそー……!」
 こんなことならもっと詳しく具体的な願いにしておくんだった、と桜は心の底から後悔する。勝手に現れて寝ている間に帰ってしまったあの魔女っ子に、言ってやりたいことはあまりに多すぎて列挙するのも難しい。
「──そろそろ時間かな」
「うー」
 時計がこんなに憎いと思ったことはなかった。解答が書ききらない試験の終了間際ですら、これほど時よ止まれと切望したことはなかった。
「また、来年──な」
「うん……!」
 時計の針が重なる。
 月夜は桜から離れると、姿見の中へと消えていった。
 その姿をいつまでも見送り、桜は鼻をすすりながら思った。
(……ああ、月夜もやっぱり行き帰りはこの姿見なんだ……)

 七月の頭は、大学生にとってとても忙しい時期だ。
 梅雨も明けないから洗濯物はたまりがちだし、そのくせ蒸し暑いから汗はかくし。
 来年もきっと、自分はレポートに終われているのだろう。試験を控えてストレスをためて。
 それでも、今から来年の七月七日が待ち遠しいと桜は思った。
名前とネタと魔女っ子を提供してくれた友人、桜月(さくらづき)(よる)にささぐ



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