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 あたしはにんじんが食べられない。
 正確には、基本的にはだめだというだけで、カレーやシチューのように味の濃い料理に入っている場合は平気である。ちょっと緊張するけれど。
 別にアレルギーというわけではない。食べたところで身体に異常が起きたことはない。
 ただ単純に、食べられないのである。
 ……お判りだろうか。
 つまりその、要するに、あたしは──
「嫌いなんだ。人参」
 ああっ、言われちゃったっ。
「……判った?」
 上目遣いに彼を見ると、彼は当然だろうという顔をして指をさした。
 あかいものだけが残った、あたしのお皿を……。
「これで判らないはずがない」
「……だってこの野菜炒めは無理だったんだもんっ」
「は?」
 つい口にしてしまった言い訳はちょっと突飛だったらしく、戸惑う彼にあたしは食べられるときもあるのだと説明した。
「でも、にんじんがにんじんの味をしてるときは食べられないんだよおー」
「……じゃあ、人参が胡瓜の味をしているときは?」
「そんなことはあり得ないけど、もしかしたら大丈夫かも」
「すごいなあ」


 いや、誉められても……。


「でもせっかく作ったのに。どうしても無理?」
 改めて訊かれると、わざわざ作ってもらったのに残すのは心苦しかった。お腹が空いたと訴えて、冷蔵庫にこれしかなかったからと簡単に作られた野菜炒めだったとはいえ、礼儀に反しているのは明らかだ。
 そしてにんじんさんにも失礼だ。
「うー……でも、食べる」
「頑張れ」
 嫌いなにんじんだけを食べるのは辛かった。だがご飯はもう食べ終わっているし、お腹は既にふくれている。おかわりを頼むわけにもいかず、あたしは思い切ってまとめて口に放り込んだ。
 噛むのもそこそこにごくりと飲み込む。
「よくできました」
 きれいになったお皿を重ねて持って、彼はキッチンに運んでいった。にんじんの後味に顔をしかめていたあたしを見て、今日は烏龍茶にしようと呟く。
 ……とうとう中国茶にまで手を出したのだろうか。
「紅茶じゃないの?」
「食後には烏龍。なに、そのへんな顔は」
「いつもいつでも紅茶飲んでるんだと思ってた」
「普段飲むのは紅茶。眠気覚ましにはコーヒーだけど、寝起きだったら緑茶だね」
「なんで?」
「何がなんで?」
 訊き返されて、あたしは質問を言い直す。
「なんで普段は紅茶なのに今は烏龍なの? そしてなぜ寝起きは緑茶?」
「ああ、それは」
 彼の言葉は途中で切れた。やかんに水をくんでいるのか、水道の音で遮られたのだ。しばらく黙って、彼が戻ってくるのを待つ。
「烏龍茶は油分を流すんだ。中華料理は油を多く使うから、食後に飲んで過剰摂取しないようにするんだよ」
 野菜炒めが中華なのかどうかはおいといて、と注釈をつける。
「へえ、知らなかった。そうなんだー。だから中国人はよく烏龍茶を飲んでるんだ?」
「……中国人なら必ずそうだとは限らないけど。地方によってはジャスミンとか、緑茶を中心に飲んでるはず。どこが何かは忘れた」
「あ、そっか。産地にもよるもんね。何しろ中国は広いから」
 頷き、あたしは深く納得した。また一つ賢くなったね。
「それから、コーヒーは眠気覚ましによく効くけど、寝起きに飲むには刺激が強すぎる。空きっ腹にブラックで飲むと胸焼けすることもあるし」
「砂糖とかミルクを入れればいいんじゃ……」
「面倒くさい」
 こらこら。
「その点緑茶は刺激が少ないし、朝一番に飲めば、毎朝日本人の心を思い出す」
「……それは、本当?」
「ちょっと嘘」
 こらこらこら。
 そういえば、とあたしはふとあることを思い出した。
 彼の紅茶好きに影響されてあたしもよく飲むようになったのだが、それにはいつも何も入れずにストレートだ。よく考えれば、砂糖くらい入れてもいいんじゃないだろうか。
 訊いてみることにする。
「なんでアキヒロは紅茶に砂糖いれないの?」
 お湯が沸くのを立ったまま待っている彼は、小さく笑った。
「一、甘いのが嫌いだから。二、紅茶の風味が失われるから。三、虫歯になるから。さあ、どれでしょう」
「ええっ」
 なぜそこで三択!?
 戸惑うあたしをよそに、彼はやかんに呼ばれてキッチンへと姿を消した。
 仕方なくあたしは一人で考え込む。
 一じゃないことは確かだ。彼は甘いものは平気。それどころか好きな方だと、あたしは知っている。プリンもケーキもあんみつも、彼は嬉々として食べるんだから。
 じゃあ二?
 でもミルクやレモンならともかく、砂糖で風味が失われるかなあ? そんなことはないと思うんだけど……。
 いやいや、あたしが気づかないだけで、実はそうなのかもしれない。油断は禁物だ。
 でも、一番怪しいのは三番だ。
 虫歯。
 でもこれ、歯を磨けばいいと思うんだけど!
「判った?」
 カップを両手に戻ってきた彼に、あたしは悩みながら結論を出した。
「多大な謎を孕みつつ、三番」
「おしい。外れ」
「ええっ」
 じゃあやっぱり風味なの!?
 そりゃあたしだって、自分が際だって鼻がいいは思ってなかったけど、そうなの!?
 ところが彼は、ショックを受けるあたしにさらなる衝撃を与えた。
「答えは、虫歯と見せかけて、実は面倒だから」


 ……あんた……ッ!


「三択になってないじゃん」
「申し訳ない」
「口先だけの謝罪なんて、聞きませんっ」
「まあそう怒らずに」
 これが怒らずにいられるかあ!
「ほら、お茶でも飲んで」
 渡されたお茶の香りは、紅茶ばかり飲んでいたあたしにとってとても新鮮だった。
 熱いので懸命に息を吹きかけて少しすする。
「おいしい?」
「……おいしい」
「よかった」
「でも許してないからね」
 厳しく言い渡す。彼は少しの間、沈黙した。
 そして一言。
「……おいしい?」


 だからさ……


 その日、あたしは彼に対する認識を少し改めた。
 彼は変な人だ。それはもう、初めて会ったときから変わらない。
 彼は紅茶好きだ。実際には好きなのはお茶全般なのであり、その中でも特によく飲んでいるのが紅茶なのだが。
 そして、新たに加わった項目が一つ。



 実は彼は、おちゃめさんだ。