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S
「人は誰でも、何かしら秘密を持っている。そう思わない? ヒナ」
 相も変わらず居心地のいい彼の家で、いつも通りお茶を飲みながらまったりしていたら、突然アキヒロがそう言った。
 一瞬言われた言葉の意味が判らなくて動きがとまって、理解してからさらに困惑した。
 な、なにごと?
 ──いやいや。心地よい沈黙を打ち破って、突然彼が話し始めるのはいつものことだ。今日も今日とて二人きりで会っているのにやっていることは静かな読書という、ちょっと世間一般でいうかっぷるとは違うでーとをしていたあたしたちだけど、だからといって、全然話をしないわけではないのだ。別に彼が話を始めたことに驚いたわけじゃない。
 そうじゃ、ないんだけど……。
 秘密って、どゆこと?
 あたしの背中を何か冷たいものが伝っていった。なんだかとても嫌な予感がします。
 だって、ねえ。
 秘密。秘密だって。
 なんだかとっても不穏な感じ。
 お隣さんの秘密。噂の女優の秘密。あなたの秘密探りますの秘密。秘密警察の秘密!
 うわー。とっても危険なにおーい。
 でもでも、あたしもだてに長く彼と付き合ってるわけじゃない。こんな風に突然話題を振られるのにもいい加減慣れてきてるし、どうして彼が話を始めたのかも、ちょっとなら判る。
 つまり、こうだ。
 仮定いち。アキヒロは何か秘密を持っていて、それを今明かそうとしている!
 仮定に。アキヒロは何かあたしの秘密を知っていて、それを今ばらそうとしている!
 …………。
 うわー。どっちもこわーい。
 やばい匂いがぷんぷんします。どうしよ先生。助けてママン。消臭剤はどこですか?
 こっそり怯えるあたしを見て、アキヒロが呆れ顔になった。
「何おもしろい顔してるの、ヒナ」
 ……前から思ってたけど、アキヒロ。あたしが困ってたり怖がってたりする時の顔を、なにゆえおもしろい顔と言いなさるの? おもしろいの? 今度鏡で見てみるべき?
「いやあの、秘密って、なんだか危険な響きだなあと思って」
「危険?」
 なぜ? とでも言いたげに、アキヒロはこてんと首を傾けた。
「隠し事ってことでしょ?」
「そうだね」
 人は誰でも、何かしら秘密を持っている。
 そうだと思う。
 だって、誰にだって人に言いたくないことはあるもの。なんでもかんでも自分をさらけ出せるほど、人は強くない。そう思う。
 でも。
「何かを秘めるってことは、それなりの理由があるんだと思う」
「ふむ」
「ものによっては、言わないままでいた方がいいこともあるし」
「……そうだね」
「口に出したが最後、相手も自分も傷つくことになっちゃうかもしれないし……」
「そうだね」
 うんうんと頷くアキヒロを見ながら──あたしの中で、ものすごく不穏なものがわき上がった。何か、まっくろい、とてもとても嫌な予感。
 まさか。
 さっき自分の中で作った仮定を思い浮かべる。ひとつめ、アキヒロの秘密。ふたつめ、あたしの秘密。
 ……あたし、何かアキヒロに隠してたことあったかな。
 あったかもしれない。ないと思う──思いたいけど、判らない。
 だけど、この場合やっぱり、秘密を抱いていたのはあたしじゃなくてアキヒロなんじゃないだろうか……。
 あたし、今さっき自分で言ったけど。
 人が秘密を抱くのは、理由があるから。口に出したら誰かを傷つけてしまうかもしれないから。
 でも──秘密という言葉は、もっと危険な要素をはらんでいる。
 言いたくないから、秘密にする。本当は言わなきゃいけないのに、言いたくないから、黙って知らん顔をしている。そういう秘密も存在する。
 まさか。まさかまさかまさか。
 知らないうちに、体が勝手に震えだした。嫌な方向に考えが進んでいく。信じたくない。信じたくないけど、ひょっとして、そうなの?
「アキヒロ……もっ、もしかして…………」
「ん?」
「他に──他に好きなひとができたの!?」
 瞳を潤ませあたしは血を吐く思いで訊ねた。


 アキヒロは、椅子に座ったままずっこけた。

 器用さんだ。


「ちがうっ」
 あ、ちょっと焦ってるこの人。わあ珍しい。
「ごまかさないでいいよ……あたし、嘘を言われるより本当のことが知りたいよ」
 至極まじめな顔であたしは言った。
「ちがう」
「相手はどんなひと? 美人さん?」
「だから違うって」
「アキヒロかっこいいもんね。どんな美人さんにだって好かれちゃうよね」
「だから──」
「あたし、太刀打ちできないだろうなあ……。素直に身を引く方がよさそうだよね……」
「──ヒナ」
「どうしよう、泣いちゃうかも……」
「ヒナ」
「あたし、もうここに来られなくなっちゃうんだね……さみしいなあ」
「ヒナ!」
 はい、とあたしは俯いて目を擦るのをやめて、顔を上げた。
 アキヒロはあたしをじろっと睨みつけた。
「──わざと言ってるだろ」

 ばれた。

「えへ」
「えへじゃない」
「ごめんなさい」
 ぺこっと頭を下げて素直に謝る。いかんいかん、怒ってるよこのひと。声が低いよ。
 だって、いきなり変な話題出すから!
 でもちょっと本気だったけど。
「それで、秘密がどうかしたの?」
 気を取り直して、あたしは改めてアキヒロに訊ねた。
 アキヒロは答えず、不思議な瞳であたしを見つめた。何かを言おうとしているような、迷っているような、読めない瞳。
 ──ふと、思った。
 アキヒロって不思議なひとだ。あたしは今までずっと、彼のことを説明するときには、変なひとだとか不思議なひとだって言ってきたけど、それはこの瞳のせいなんだ。考え方が突飛だとか、行動がちょっと普通じゃないとか、そういうことではなくて。この目が不思議な光を宿してるからなんだ。
 人によっては、何を考えてるのか判らないと毛嫌いされるらしいけれど。
 あたしは彼のこの奥深い目がなんだかとても気になって、このひとが何を考えてるのか、何が好きで何が嫌いなのか、普段どういう生活をしてるのか、そんな些細なことがすごく気になり始めて、それが好きって感情に繋がったんだ。
 ……うわー。
 今さらだけど。今さらなんだけど。
 あたし、この人が好きなんだなあ。
 よく判らないけれど、改めて自覚してしまった。はっきりと。
 そしてそれを認めたら、心がその想いでいっぱいになってしまった。
 何だろう。どうしちゃったんだろう。ちょっと瞳を見ただけでこんな風になるなんて。あたしっておかしいのかなあ。
 でも、あたしは考えが顔に出やすいから。きっともうでちゃったから。
 正直に言おうって思った。今、あたしの心を満たしているものが何かを。
 だけどあたしが口を開くより一瞬早く、アキヒロがくすりと笑った。読めない瞳が、ほんの少しの動作で柔らかくなる。ちょっと表情が変わっただけなのに、空気が変わる。
 うわー。
 どうしよう。これ以上いっぱいになったら溢れちゃうよ。言わなきゃ。
 でも、判っていてやっているのか、わざとあたしに言わせないつもりなのか、アキヒロは制するようにあたしの名を呼んだ。
「ヒナ」
「……なあにー」
 どうしてそこで、そんなにきれいに笑うんだろう。そんな笑い方、滅多にしないのに。
 どうして、そんな風に笑えるんだろう。
「さっきヒナは、秘密っていうのは、言わない方がいいから秘密にしてることもあるって、言ったよね」
「……うん」
 言いたくないから秘密にしておくって場合もあるけど……
「でもそういう秘密って、言わなくても相手には判っちゃってる場合も、あるよね」
「……うん」
 秘密にしているつもりでも、実はばればれだったっていうのは、よくあることだ。
 子供にクリスマスプレゼントを用意してる親が、プレゼントはサンタさんが持ってくるんだって言い聞かせても、子供はもうサンタなんていないって知ってしまっていたり。
「だから、俺の秘密ももうヒナにはばれてるよね」
「……え?」
 思わずへんな顔になって、彼の顔をまじまじと見つめてしまった。
 あたしにばれてる、アキヒロの秘密?
 なにそれ?
 だけどアキヒロは説明する気はないらしく、ただ唇に人さし指をあててにこりと笑った。

 ──あ。

 ふにゃ、と泣きそうになる。
 いっぱいいっぱいになった心から想いが溢れたら、それは言葉にならず涙になってしまった。だめだなあって思った。あたし、全然だめだ。
 ここは泣くところじゃないのに。
 みっともなく涙を流すんじゃなくて、きれいに笑いたいのに。今まさに花が咲きましたっていう、その瞬間みたいにきれいに微笑みたいのに。
 でも、失敗。理想は遥か遠く現実はすぐそこだった。だから、せめてもと嗚咽に震える声で、あたしも精一杯強がってみせた。
「……たしも、ねえー、アキヒロにばれてる秘密があるよお」
「……そう?」
「そうだよおー」
「……そっか」
「うんー」
 ぐしっと鼻を鳴らしながら、こくこく頷いた。俯いちゃったから表情は見えなかったけれど、声色が少し変わったから、伝わったんだなって判った。
 うわー。どうしよう。
 あたしってなんて幸せ者なんだろう。
 なんて果報者なんだろう。
 今ここに、あたしの目の前に、アキヒロがいることが、奇跡みたいに思えてきた。いや、みたいなんじゃなくて、奇跡なんだ。たぶん。きっと。
 うわー。うわー。
 嬉しすぎて、舞い上がっちゃいそうだ。いいよ舞い上がっちゃえって、あたしの中の誰かが言った。
 だからあたしはちょっとだけ甘えてみることにした。許されるだろうと確信して。
「あのねえ、アキヒロ」
「なに?」
 アキヒロがあたしを見る。
 やさしい目。何を思ってるのか判る。言葉にしなくても、伝わっている。
 あたしの気持ちも、伝わってる。
 だから秘密は秘密のままにしておいて、ちょっとだけ欲張っちゃおう。

「──キス、していい?」