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至近距離の災難
「あたし、もう別れるー!」

 ノックも無しにいきなり人の部屋に乗り込んで、鼻声でそう叫んだのは、振り返って確認するまでもなくあたしの親友であるところの神崎美穂菜だった。
 またかよ。そう言いたくなるのをどうにか堪えたら、自然と読んでいた小説を持つ両手に力がこもって、ページがぐにっと歪んでしまった。
 あのねえミホ。この本が、あたしがずーっと前から発売を心待ちにしていたシリーズの最新刊だってこと判る? 今日がその発売日なんだって一ヶ月前からあたしがずっと騒いでたこと、知ってるよね? 何度も何度もこのシリーズの面白さとか作者のすごさとか語りまくったんだから、まさか覚えてないなんてことはないよね? そりゃああんたは基本的に人の話きかない人間だから、あたしの言葉も全部右から左に抜けてっただろうってことくらい予想してたけど。してたけど。でもさ!
 なんでこのタイミングで来るわけ。嫌がらせ? 嫌がらせだな? そもそもその別れるってセリフ今月で何度目だよ!
 ──ってな血を吐くような叫びをほぼ三秒で内心に響かせて、あたしは名残惜しい気持ちをどうにかしまい込んで、合掌するように本を閉じた。二秒間だけ目を閉じて気分を入れ替えて、もう絶対ひきつってる笑顔を無理やり浮かべながらぐるっと椅子を回し、ぜえはあ息を切らしてるミホに顔を向ける。
「どーしたの、一体」
 今度は一体なんだよ。と言わないあたりあたしってすごくいい奴だと思う。



「だってだって、もうひどいんだよ。あたしの話全然聞いてくれないし、デートしてる時だって手も握ってくれないし」
 あたしがそっと差し出した箱入りティッシュをものすごい勢いで消費しながら、ミホはぐずぐずめそめそ愚痴を始めた。どうでもいいけど使ったらごみ箱に入れてよ。床に放るなよ。こら。
「それにねそれにね、待ち合わせの時なんか、いっつもあたしが一時間以上待たされるんだよ! 女の子待たせるなんてひどいと思わない?」
「うーん」
 あたしは曖昧に笑った。確かに待ち合わせに遅れてくる男は許されないと思う。それは同感。でもな、そもそも一時間も早く行くあんたが悪いだろそれは。待ち合わせ時間を決める意味ないじゃんよ。それにあいつはどんなに遅くても十分以上遅れる奴じゃないだろ? あんたが非難してるのは一時間以上の以上の部分だけ、十分だけだよ。それくらい許してやれよ! 第一いつもは待ってる時間が楽しいの☆ とか言ってるくせに、なんでこういう時だけ態度が変わるんだ!
 ひどいひどいと繰り返されてるミホの彼氏っていうのは、何を隠そうあたしの幼なじみだ。だから、悪いけどミホよりあいつのことはよく知ってるわけで、だからこそこいつがあたしに愚痴りたくなるのも判るっちゃ判るんだけど……。
 ねえ、言ってもいい? どう考えてもあたしに対する嫌がらせにしか思えないんだけど、この状況。親友と幼なじみのカップルって悲劇だろそれ。本人達でなくあたしにとってね。だって男女両方から愚痴られるってことだもん。あんた達あたしに恨みでもあるわけ?
「学校帰るのも一緒に帰ろーって言ってたのにさー、いっつも先帰れ先帰れって言われてさー。待ってると怒られるんだよ? あたしと一緒に帰るのそんなに嫌なの?」
「嫌ってことはないと思うけどー」
 ごめんこれ嘘。嫌がってんのよ。だって仕方ないでしょ? 部活で夜まで練習してくたくたになって家に帰るって時に、逆方向の彼女の家に寄るのは辛いでしょうよ。疲れてるからあんまり話もできないし腹は減ってるし、運動してたからこっちは暑いってのにぺったりくっつかれて、あまつさえ汗くさいって言われるって、これはあいつから聞いたのよ。悪いけど同情したわ。でもねホント言うと一番かわいそうなのはあたしだと思う。なぜって、帰宅部なのよミホは。それなのに彼氏と一緒に帰りたいからって、ただそれだけの理由で夜まで学校に居残るんだよ。あたしを道連れに!
 夜一人で帰るあたしの身にもなって。マジ危険度高いんですけど。
 そりゃあさ、クラス一美少女のあんたと違って平々凡々な顔で背ばっかりでかいあたしとじゃ、痴漢にあう確率も違うだろうけどさあ。くっそー。しかも実際今まで一度も被害にあってないってのがなんか腹立つ……。いや遭遇したいわけじゃないけどさあ!
 もうお判りだと思うけど、この神崎美穂菜という娘は、外見も中身も紛うかたなき立派な乙女なのだ。最新鋭の乙女回路を標準装備してるの。将来の夢はオヨメサンだってマジで言ってた。たぶん今も本気だね。なにしろ、高校生になっても毎月買ってるからね! り○んとなか○しを!
 最近は少年漫画も読んだりする彼女の今一番のお気に入りは、某怪盗だ。高校生のやつ。夜な夜な手品使って宝石盗んだりしているその怪盗を、ミホはなんと様づけで呼ぶ。それだけでもあたしには信じられないんだけど、彼女の場合それを現実にも求めているのだ。つまりそんな男が理想なのだ。素面でくっさいセリフ吐くような男が大好きなのだ!
 でもね一つだけ言ってもいい?
 夜中にマントたなびかせて空飛んだりしてる男は、ただの変態コスプレ野郎だろ!
 いくらかっこよく怪盗なんちゃらって言っても、現実で考えれば単なる窃盗犯だろう!!
 そんなもん本当にいたらさっくり警察にしょっぴかれて終わるだけだろー!!
 はー。
 ちなみにその怪盗、普段はただの高校生なのだが、ミホはそっちはどうでもいいらしい。彼女はあくまで怪盗姿の彼に惚れているわけで、恋人一歩手前の幼なじみがいる高校生にはまったく興味がないんだそうだ。正直すぎ。
 きっとお姫様だっことかされたいんだろうね君は。いいんじゃない。あたしだったら絶対ごめんだけど、かわいくて小柄なあんたなら抱えられる男もわりといるでしょ。あいつが出来るのかどうかは知らんけど。むしろ知りたくもないけど。


「もう駄目なのかなあ……あたしたち」
 ひとしきりティッシュをまき散らし言いたいことを言ったら落ち着いてきたらしく、いくぶんトーンの落ちた口調でミホは呟いた。
 あんたが自分で別れるって言ってるんでしょーが、とはもちろん言わず、あたしはまだ大丈夫だよきっと、と心にもないことを言う。我ながらやる気がない言い方だ。いいんだ。本人にバレなきゃなんでも。どーでも。
「でも、昨日思いっきり大嫌いって言っちゃったの。街中で」
 げは。またやることが派手だねこの娘は……。街中ですか。
「……それでケンカになったの?」
「だってー。一緒に映画みてご飯たべて、それから買い物行こうって言ってたのに、会った途端いきなりご飯食べたら帰るって言うんだもん。服買いたかったのに! それでも嫌いって言っちゃったの後悔して今日は謝ろうと思って電話かけたのに、今度は全然でてくれないし!」
「あんた今日あいつが試合だってこと知らないの!?」
「へ?」
 さすがのあたしもこれは抑えきれなかった。気がついたら口に出してた。
 ミホはきょとんとしてあたしを見つめている。ナニソレ、って顔だ。あんたね。
「バスケの試合! あいつレギュラーでしょうが」
 壁に掛かってる時計を見上げながらあたしは言った。開始は一時とか言ってた気がするから、まだ始まってはいないけど……。
 ちなみになんであたしが開始時間を知ってるかっていうと、別に直接本人に聞いたわけではなく、あいつんちのおばさんに聞いたうちのかーさんが言ってただけ。それだけよ。
「……え、えー? どういうこと?」
 何を言ってるのか判らないって顔でミホは首を傾げた。ああもう全然判ってないね。判ってないでしょうとも、あんたの買い物がどんだけ時間かかるか、でもってそれに付き合うと果てしなく疲れるかなんて! 女のあたしでもそうなんだから、あいつにしてみたらもう言わずもがなってことよ。試合の前日にそんなに疲れるわけにいかないでしょう? 電話に出ないんじゃなくて試合直前で出られないだけでしょう? なんでそんなことにも気づかないかなあこの娘は!
 あーもう。あーもう。あー、もう!
 言いたいことは山のようにあったけれど、あたしはそれを全部心の隅っこに押しやった。そして真顔で彼女の顔を覗き込み、両肩にぽんと手を乗せる。
「ねえ。ミホ」
「なに?」
「しょーじきに答えて。あいつのこと、ホントに好きなの?」
 あたしが真剣だってことは悟ったらしく、一瞬の逡巡のあと、ミホはこっくり頷いた。
「うん……やっぱり好き。ぶっきらぼうだけど優しいし。それに」
「じゃあ学校行って応援してきなよ。まだ試合には間に合うから」
 油断すると際限なくのろける口を強引に遮ってあたしは言った。今日の試合会場はうちの学校だったはず。あたしんちから学校まで、自転車で急いで三十分。どうにか間に合う。
「でも……でもあたし、昨日」
「大丈夫だって! 力いっぱい応援して、試合終わってから改めて謝ればいいでしょ! あいつだって昨日のこと気にしてるだろうから、ここで行かなかったら試合中ミス連発しまくって、降ろされちゃうかもしれないよ? あんたバスケやってるあいつが好きなんだって言ってたよね?」
「う……うん。うん」
「だったらかっこいいとこ見せてもらいなよ。ね?」
「わかった……行ってくる」
「よしっ」
 帰り支度を始めるミホにちょっと待っててと言い置いて、あたしはタオルとあいつがよく飲んでるスポーツ飲料を用意して袋に入れ、玄関先で渡してあげた。
「これ、持っていきな。差し入れに」
「ありがとう」
「いいってことよ。ほら、早く行きなっ」
「うん。じゃ、行ってくるね」
 ばいばいと手を振るミホを早く早くと急かし、あたしは外まで出て彼女を見送った。彼女もあたしと同じ自転車通学だし、よくうちにも来たりしているので、学校までの近道も知っている。だから、たぶん間に合うだろう。
 小さくなっていく背中を見つめながら、あたしはでっかいため息をついた。
 ──まあ、大丈夫だろう。きっと……。
 なんだかんだ言って仲はいいし、たぶん相性が合ってるんだと思う。お似合いの、ってやつだ。ケンカも多いけどすぐ仲直りするしね。夜にはまたのろけ電話が来ることだろう。
 はー。
 さて、続き読もーっと。



 夜になって、思った通り携帯に連絡が入った。もう声を聞いただけで無事仲直りできたと判ったので、あたしはよかったねえと言ってあげた。
 試合の後存分に仲直りしていちゃついてきたらしく、流れるようにのろけ話が始まりそうだったので、あたしは差し入れのタオルはあとで洗って返してくれればいいからとごく自然に話題をすり替える。こういういらん技ばかり上達していく気がするなあ……。
 なんだかたそがれていると、ふと電話口が静かになった。おや、と思っていると何やら深刻そうな声が流れてきた。
『……あのさ。ちょっとだけ訊いてもいい?』
「んー? なーにー?」
 あたしは携帯を左手から右手に持ち替えた。
『前から訊こうとは思ってたんだけど』
「うん」
『彼のこと、ほんとになんとも思ってないの?』
「……………………は?」
『幼なじみでしょ。ひょっとして、好きだったんじゃないかなって……。だとしたらあたし悪いことしちゃったかなって、ずっと気になってて……』
「…………」
 なんて言ったらいいの、こういうの。思わずポカンとしちゃったよ。
 要するに、あたしが実はあいつのことを好きだったんじゃないかと。そういうことね?
 ほんっとに……どこまで乙女なのあんたの頭は!
 そう言ってやりたいところをどうにか飲み込んで、あたしはきっぱりと彼女が望んでいるだろう言葉を口にした。
「そんなことはないから。前にも言ったけど、あたしには、全然、まったく、これっぽっちもその気はありません」
『……ほんとにー……?』
 ないったらないんだっつーの!
 あっどうしよう。もう怒鳴っちゃいそう。堪えろ。耐えるんだあたし。がんばるのよ。
 あんだけ人に愚痴ってアホなケンカに巻き込んでおいて、一体どの口がそんなこと言うかなあ。しまいにゃ怒るよ? 異性の幼なじみってだけで恋愛関係に持ち込もうとするなよ。漫画の読み過ぎだろうそれは!
 ……ってか、実際ここであたしがあいつのこと好きだったりしたらどうするつもりなんだろう、この子……。修羅場か? 修羅場なのか? 最悪の三角関係だな!
 やってらんなーい。くあー、あほくさっ。
「あのね、ミホから見ればかっこいいかもしれないけど、あたしにしてみればちびっこい頃から知ってる腐れ縁なわけよ。もう知りたくないことも知っちゃってるわけ。恋愛感情なんか起きようがないの。だから、気にすることはなんにもないのよ。判った?」
 あたしにしてみれば、いくら奴がモテようが二月に山のようなチョコをもらおうが知ったことではないのだ。確かにバスケやってるくらいだから背はでかいし、顔もそれなりで、意外に優しいところもあるみたいだけど。でもさ、あたしは知っちゃってるわけよ。最後におねしょしたのが実はピー歳の時だったとか、小学校の入学式の時に誰よりもでかい声でおかーさんって泣いてたのが奴だったとか、バスケ始めたのが実は、あたしとサッカーボールで遊んでた時にボールを蹴り損ねてすっころんで、足でボールなんか蹴ってられるかって悔し紛れに言ったのがきっかけだったとか。他にも色々イロイロあるわけ。そんな相手に恋とか出来るわけないでしょ。
 大体、恋なんて言ってみればただの錯覚みたいなものだ。逆を言えば多少なりとも錯覚させてくれる相手でないと恋なんてできないってこと。あいつにはあたしの感覚を誤魔化すことは絶対無理だから!
 小さい子に言い聞かせるみたいにあたしは説明した。やけくそになりながらそれを三回くらい力説すると、ようやく、どうにか、ミホは納得してくれたようだった。今日のことを含めてしつこいくらいお礼を言われ、彼ができたらいつでも相談に乗るからねといらんお節介をうけてようやく電話を切った頃には、通話時間は恐ろしい数字になっていた。
 ……あああ、また無駄に時間が過ぎていく……
 はあ……。
 ため息をついてあたしは携帯を充電器に差し込んだ。
 これが日常茶飯事だ。彼女があいつと付き合うと聞いた時からこうなることはほぼ予測できていたけれど、やっぱり、ちょっと……いやかなり、つらい。
 くっそー。
 あたしはがたりと音を立てて立ち上がり、居間に向かった。なんか飲もう。飲まなきゃやってられんよ。未成年だから酒は無理だけどね!


「あ、いいところに。ほら、あんたに電話よ」
「ええっ」
 居間に入った途端のほほんと母に子機を渡され、あたしは思わず唸った。誰だよ……。まだあたしに何か用のある人間がいるの?
「もしもし?」
『おっす。お前さ、電話長すぎだっつーの。携帯全然繋がんねーじゃん』
 おーまーえーかー! 思わず叫びそうになった。
 電話の相手は、噂のバスケ野郎だった。
「やかましっ。そらあんたの彼女が悪いんだっつの!」
 あたしは遠慮なく文句を吐いた。ミホ相手ならともかく、こいつに遠慮する気はない。
「もう今日は朝からそのことでいっぱいいっぱいだったよ。ったく……」
『あー……わり。ごめん』
 はー。あたしは大きく息をついて、気分を入れ替えた。怒りに限らず感情を持続させずに流すのはあたしの得意技だ。どんなに憤懣やるかたなくても、寝れば確実に機嫌が直る。それがいいことなのかどうかはちょっと微妙。
「で? 何の用?」
『あ、それなんだけど。神崎の好きなものってなんだろ?』
「…………は……?」
『や、もうすぐ誕生日だっつーからさー』
 できればあんま金かかんないのがいいんだけどさあ。お前なんかいいアイディアねえ?
 声変わりが終わってびっくりするくらい低くなった声が右から左に流れていった。そして、流しきったはずの疲労とかやるせない感情とかが逆流してきた。
 うー。うー。うー!
 言っちゃだめ。言っちゃだめだ。
 でもこっそり小声で言ってもいい?



 別れてくんないかな、あんたたち。
 誰のためでもなくあたしのために。


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