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ある夜の電話
 電話が鳴ったので、反射的に取った。
 我が家はなんだかんだいって頻繁に電話が鳴る。職業柄仕方ないのだが、俺は元々電話は好きじゃなかった。今回ためらわずに取ったのは、もうすぐ仕事相手からかかってくる予定だったからだ。
 しかし。
「あ、兄貴!?」
 予想を覆す高音(しかもうるさい)に、俺は思わずそのまま受話器を戻しそうになった。
「ちょっと、今すごいやな顔したでしょ!? かわいい妹からの電話だよ!? 喜んでよ!」
 なんで判った……?
 つっこみたいところはいくつもあったが、俺はそれをため息一つで全て流し、呆れ声で仕方なく応対した。
「……なにか用でもあるのか」
「その言い方! あいっかわらず薄情だなーもー! なかったらしちゃいけないっての?」
 言葉だけ聞けば怒っているようにも見えるが、声色から判断するにこれはまだ通常の範囲内のようだ。女は三人寄ればかしましいと言うけれど、わが妹は一人で三人分のやかましさなのだ。
「だいたいさあ、ちょーっとお金稼げてるからってウチにもぜーんぜん帰ってこないで! ちょっとはお父さんとお母さんに申し訳ないとか思わないわけ〜?」
「忙しいんだから仕方ないだろ」
「そんなこと言ってさー。彼女とはどうせよろしくやっちゃってるんでしょー?」
 この妹は一体どこからそういう言葉を覚えてくるのだろう……。
 確かに俺には長いつきあいの彼女がいるが、それと帰省とは全く関わりのない話だ。今まさにその彼女が家に来ていることも、もちろん全然関係のない話だ。
「用がないなら、切るぞ」
「わーわーわー、待って待って! 用ならちゃんとあるんだってば!」
「だったらさっさと言えよ」
「ぶー。なによー、偉ぶっちゃってさ。あのねー、お父さんが新作読んだってさ」
「…………」
 俺は平淡に言った。
「──で、今度はなんだって? トリックが甘い? 非現実的すぎる?」
 わが父は息子が出した本を毎回かかさず読んでくれる。それはいいのだが、そのたびに事細かな文句を言って下さる面倒くさい読者の一人だ。もう引退したとはいえ、現場でずっと働いていた身としては、何かと口を挟まずにはいられないらしい。
「あーまあだいたいそんな感じ? ていうかいい加減リビングでいちいちツッコミ入れながら息子の本読むのやめて欲しいんだけどねーマジで。うっさいし。端から見てるとかなりキモイし」
「それは俺のせいじゃないだろ」
「お母さんはお母さんで、あの子はどうしてこんなに人殺しばっかり……昔はやさしい子だったのに、って新刊出るたびによよよーって泣きそうになってんだよ? それを毎回見せられるあたしの身にもなれっつーの」
「……サスペンスなんだから仕方ないじゃないか」
「あたし読んだことないから内容なんか知らないしー」
 俺は本気で電話を切りたくなってきた。
 確かに、大学時代にデビューが決まってから執筆が忙しいからと言う理由で殆ど実家に帰っていない。正直なところ、今まさに妹が言ったような反応を目の前でされるのが耐え難いのが主な理由ではあるのだが。
 しかしそんなことを愚痴るためにこの妹はわざわざ電話をよこしたのだろうか。
 ──いや、それはない。幼い頃からこまっしゃくれていたこの妹は、意味もなく俺に近寄ってきたりはしない。こいつがすり寄ってくる時は大抵何かねだる気か、もしくは両親に怒られるようなことをして庇って欲しい時とか、とにかくろくな事ではない。
 これは何か裏がある。
「それで?」
 何か他に用件があるんだろう、と暗に匂わせて先を促すと、案の定妹は電話の向こうで言葉に詰まった。
「……えーっとー。ちょーっとした人生相談なんだけど」
 人生相談!? こいつが!? 俺に!?
 声こそ出さなかったものの俺は頬を引きつらせた。青天の霹靂だ。明日は雨か? いや、それどころか槍が降るかもしれない。
 衝撃に震える俺には気付かなかったのか、妹は言いにくそうに続けた。
「その。友達の話なんだけどね? あたしの友達がいっこ上の先輩とつき合ってんだけど、もう一人の友達が実は同じ人をずっと好きだったとかでー、ちょっと雰囲気やばくなっちゃってて」
「はあ」
「んで、その友達同士はもうずっと仲良くてー、親友みたいな感じだったんだけど、そんなことになっちゃってさあ」
「へえ」
「……なーんかやる気ないなー。ちゃんと聞いてるー?」
「聞いてる聞いてる」
 しかし、やる気はなかった。
 この年になって高校生の恋愛沙汰を嬉々として聞く気になぞなれない。そもそも元からそういう話題には興味がない。
 やかましい妹につき合っているせいか喉が渇いてきた。何か飲み物が欲しいなあと思っていると、タイミング良く彼女がコップに麦茶を注いでくれた。
 少し驚き、目線でありがとうと伝える。彼女はふわりと笑って自分の分も用意し読書に戻った。俺の対応から、相手が妹だということも悟っているのだろう。さすがと言うべきか、とても気のきく人だ。俺は心から感謝した。
「それで?」
「あーうんそれでー、ちょっと何日か口も聞かなくなっちゃって。でもね別にその、先輩とつき合ってる子がぬけがけしたとかじゃないんだよ。全然知らなかったんだもんユキが──そのもう一人の友達が同じ人を好きだったなんてさ」
「ふむ」
 なんとなく読めてきたな、と俺は思った。
「それにコクって来たのも先輩からだったしー。ユキだって、好きならそうだって言っておいてくれれば、返事する前にもうちょっと考えたのにさあ」
「……ということは、元々好きだったわけじゃないのか」
「え? あ、あー、うんまあ。ていうかちょっとした顔見知り程度? って感じで……。あたしバレー部でしょ。で、その先輩はバスケ部で、使ってる体育館同じだからいつの間にかーってくらいで」
「友達もバレー部?」
「そうそう」
「ふーん」
 俺は相づちを打ちながら麦茶を一口飲んだ。こいつの言いたいことは判った。ついでに隠していることもほぼ把握できた。
「で?」
「……どうしよー、って思ってー」
 ぶすくれた声が耳に届く。何年も顔を見ていない妹のふてくされた顔が目に見えるようだ。
「友情を取るなら別れれば? 恋愛を取りたいなら継続すれば? 他に何かあるのか?」
「……もー! そういうわけにいかないから訊いてんじゃん! 兄貴一応作家でしょー!? なんかこう、いいアイディアはないわけ!?」
「言わせてもらうが、俺はサスペンスが基本で恋愛小説は専門外だ」
「でも痴情のもつれとか使うでしょ!?」
「…………」
 あながち大外れでもなかったので俺は沈黙を守った。まあ確かによく使うパターンではある。が、少なくとも高校生のそんな青い恋愛沙汰は扱ったことはないのだが……。
「……そもそも、本当に好きなのか? その先輩のことは」
「ええー? 好き……だと思うよ。結構人気ある人だしー。かっこいいしバスケも強いし」
 やっぱりその程度の判断なのか、と内心少し呆れたが、まあそこは深くつっこまないことにする。
「じゃあ、兄として言わせてもらうが」
「なによ」
「お前のことだから、一ヶ月も持たないだろ。友情もその頃には復活する。それで万事解決だ」
「…………」
 今度こそ沈黙したのは妹の方だった。
 その隙をついて俺は再び麦茶を口にした。きっと今頃、電話口の向こうでは頬をめいっぱい膨らませているのだろう。
「……なあーんでそこであたしのことだって思うわけ!? 友達の話だって言ってんでしょお!?」
「じゃあ訊くけど、違うのか?」
「……うぐ」
 ほれみろ。
 妹は基本的に嘘をつくのが苦手だ。そもそも、こういう話題を持ちかけてきておきながら友達が〜などと言っている時点で、自分のことなのを誤魔化しているのは明白だ。
「お前は理想は高いくせに、誰かから好意を受けるとつい転がるんだから……。目の前のものにがっつくのはやめろと言っただろ」
「人聞きの悪いこと言わないでよ!! 別にがっついてなんかないよ!」
「大して好きでもない男と、告白されたからってだけで安易に交際するなと言ってる」
「す……好きだもん。ちゃんと」
 妹は意地を張ったものの、それまでの勢いはどこかへ消えてしまっている。図星なのだろう。
「友達を裏切ってまで欲しい男ってわけじゃないなら、やめといた方がいいと思うけど? 仲良かったんだろう」
「ううー……」
 おおかた、親友と大喧嘩して引っ込みがつかなくなって俺のところに電話したのだろう。こいつが求めていたのでは助言ではなく、ただ背中を押して欲しかっただけだ。
 俺は昔から正論しか言わない人間だったから。
 なにがベストかなんて、自分でも判っていただろうに。それを選択するだけの勇気が出なかっただけだ。まったく、甘ったれな。
「結論は出たのか」
「……明日……先輩にゴメンナサイって言ってくる……ユキにも」
「そう」
 それがいいんじゃないか、とは言わなかった。あまり言い過ぎると、この妹はすぐ爆発する。意地っぱりで素直じゃないのだ。兄としてはそれがかわいい時も迷惑な時もある。
「……ありがとうなんて言わないからね」
 拗ねたような声音で妹は言った。俺は平然と言い返した。
「別に、感謝されるようなことは何も言ってない」
「兄貴のそういうすかしたところがすっごいムカツクのよ! ──お父さんとお母さんに、来週の土日に帰るってー、って言ってやるから!!」
「ちょっと待て! それは──」
 無理だ、と言う前に盛大な音がして回線が切れた。
「…………あのやろ……」
 思わず受話器を睨みつけたまま呟くと、後ろで秘やかな笑い声がした。思わず振り向く。
 読書をしていたはずの彼女は、邪気のない笑顔で頬杖をついていた。
「相変わらず仲良しだよねー、アキヒロと妹さん」
「……あれのどこをどうしたら仲良しに見えるんだ」
 来週の土日──〆切直前の修羅場に帰省せねばならない窮地をどう切り抜けるか、暗澹たる気分で考えながら恨みがましく訊くと、彼女はくすくすと笑った。
「なんだかんだ言って妹さんは困った時は頼ってきてるし、アキヒロも嫌そうな顔してるわりにちゃんとお兄ちゃんしてるもん。仲良し仲良し。ね?」
「……その妹のせいで、来週帰省する羽目になったんだけど」
「きっと帰ってきて欲しいんだよ。寂しいんじゃない? もう随分帰ってないんでしょ?」
「…………」
 だめだ。彼女にかかるとどんな悪意も善意になってしまう。──まあ意地っぱりなあいつが何を考えているかくらい自分でも判ってはいるのだが。
 なんとなく悔しかったので、俺は帰ってあげなよと他人事の顔で言っている彼女に視線を合わせた。
「じゃ、ヒナもついてくる?」
「…………えっ?」
 聡い彼女のことだ、その意味がなにかくらい判るはず。
 しかしどれだけ驚いたのか、あまりにも呆けた顔をさらす彼女に俺は思わず吹き出したのだった。


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