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できるだけ意識しないように > 握りしめた掌
できるだけ意識しないように
 ぼんやりと目を開くと、そこにはさわさわと揺れる緑の梢があった。
 つんと鼻をつく、土の匂い。嗅いだことはあっても嗅ぎ慣れてはいない匂いだ。耳元を、夏場に聞こえるたびに殺意が起きる虫の羽音がよぎった。
「うう……?」
 数度瞬いて、雄馬(ゆうま)はようやくはっきりと目を開けた。その途端、茂った葉の隙間から差し込む陽光に射抜かれて、彼は反射的に手をかざした。
「…………?」
 痛む頭をゆるゆると振り、どうにか身を起こす。体重をかけた手の下でがさりと音がして、彼は自分が草の上で倒れていたことを知った。
「なにが起きたんだ一体……」
 かすかな記憶の奥底で、誰かの悲鳴と目を灼く閃光がちらつく。
 動揺と、衝撃。
(そうだ……俺は……)
 友達と学校から帰る途中で突然わけの判らない光に包まれ、気がついたらここにいたのだ。
 ──ここ?
「っておい!」
 雄馬は一気に覚醒し、弾かれたように周囲を見渡した。
 緑、緑、時折茶色、でも緑。周囲は完全な森林だった。四方を樹木に囲まれている。
 そして彼のすぐ側には、見慣れた幼なじみが一人と友人が二人、ばらばらに倒れていた。一緒に帰宅途中だった友達だ。
由有(ゆう)! ウォルト! リーフェ! 生きてるか!?」
 それぞれの名前を呼び、雄馬はとりあえず最も近くに転がっている幼なじみの様子を探った。──脈はある。息もしている。とりあえず外傷はないらしい。
 内心ほっとしながらも、雄馬はぺしぺしと頬を叩いて起こしにかかった。
「由有! 由有、起きろ!」
「うー……?」
「お、き、ろー! 大変だ!」
「ゆーま……? あたし、もう食べられないよお……」
「のんきに夢なんか見てんじゃねー!!」
 なんてお約束な。
 怒気すら混じった雄馬の絶叫に、しかし反応を示したのは由有ではなくリーフェだった。
 乱れた金色の髪をかき上げ、しかめ面をしながらゆっくりと上体を起こす。
「う、なに……? あたし……一体」
「リーフェ、起きたか! 無事か!?」
 雄馬はしぶとく寝息を立てる幼なじみを見捨て、知り合ってまだ一月ちょっとの友人の元へ駆け寄った。彼女はこの中で唯一、金髪緑眼という日本人ではあり得ない容貌をしていた。とはいえ顔つきは日本人に近く、日本語にも全く問題はない。色が違うことと名前がカタカナなことを除けば何も気にすることのない、雄馬の幼なじみが入学したばかりの高校で作った友達の一人だった。
 ただでさえ白い顔をさらに青ざめさせた彼女は、いまいち焦点の合わない瞳で彼の心配そうな顔をぼんやりと見上げた。
「雄馬……? なにがどうなったの……?」
「俺にもわかんねえ。怪我とかしてないか?」
「んー……大丈夫みたい。ちょっとまだ頭がずきずきするけど」
「そっか。──よかった」
 雄馬はとりあえず安堵のため息をつき、リーフェが立ち上がるのを手伝って最後の一人を起こしにかかった。なぜか顔面を地面に埋もれさせたまま健やかに胸を上下させている少年は、名前をウォルトワールと言った。こちらも、雄馬がさきほど見放した幼なじみが高校で知り合い、彼女経由で仲よくなった友達だ。彼はリーフェと違って髪も目も黒く、ぱっと見は日本人だが名前はカタカナだった。
 実は二人の国籍がどこなのか雄馬は知らない。友達になるのに国籍は関係なく、そして雄馬は細かいことにこだわらない性質だった。
「ウォルト。ウォルトっ。起きろっ」
「うー……。むー……?」
 高校生のはずだが時に小学生にも見え、わんぱく坊主という言葉がやたらにはまる彼は、雄馬に胸ぐらを掴みあげられてようやくその顔を地面から離した。うっすらと瞼を持ち上げ──かくっ、と首のすわりの悪い赤ん坊のように上向きに頭を落とし、反応をなくした。
「おいっ。こら!」
「……ウォルトは超絶いぎたないから、起こすの大変よ」
「…………」
 後ろから投げられたリーフェの指摘に雄馬の眉間がぎゅっと寄った。
 ちらりと目をやれば、さきほど見捨てた由有はいまだ幸せそうにふにゃふにゃ笑いながらデザートはみるくれーぷがいいなあなどと寝言をほざいていた。
「てめえら、いい加減にしやがれー! 本気で見捨てるぞこらー!」
 ぶっつり切れた雄馬はウォルトをがくがく揺さぶりながら盛大に吠えた。
 あたりにいた鳥たちが驚いて一斉に飛び立った。

「……あーびっくりした」
 しばらくしてようやく目を覚ました由有は、驚いているとはとても思えないのほほんとした口調でそう言った。
 雄馬に耳元で怒鳴られ起こされたことに驚いたのか、それとも気づいたら森の中で寝ていたという状況に驚いたのか。リーフェは少しだけ気になったが敢えて訊こうとは思わない。姫垣由有というこの少女は、目の前でダンプが事故を起こしてものほほんとした顔であーびっくりしたと言って終わらせられる、そんな奇特な性質の持ち主だからだ。
 そんなことより。
「……で、だ」
 円形に座り込む彼らの中で間違いなく最も常識人で最も頼れる男雄馬が、沈痛な面持ちで口を開いた。
 彼の言わんとしているは容易に知れて、リーフェも重々しく頷く。
「うん……」
 あまり、考えたくはなかった。
 けれども意識せずにはいられない。
 つまり。
「はらでもへったのか?」
『じゃなくて』
 ウォルトのボケに雄馬とリーフェの声が重なる。
 あれ、違うのか? と一人首を傾げているウォルトを放置し──彼本人はボケているつもりはないのだ、間違いなく──雄馬はため息をついた。
 仲の良い四人組で帰途についていた。ただそれだけのはずだった。
 しかし、あの時点で沈みかけていた太陽は今なぜか真上にいる。腕時計は七時を示しているというのに、だ。
 そしてなにより、家路についていたはずの彼らがなぜ見覚えのない森の中で転がっていたのだろうか。
 これらのことから導き出される現在の状況は、明白だった。
 信じたくはなかった──できれば夢だと思いたかった。けれどもいつまでたっても起きないウォルトの頬を力いっぱいつねったら──憂さ晴らしを兼ねていたのは言わぬが花である──彼は盛大な悲鳴をあげて飛び起きたのである。やはり夢ではないのだ。ということはつまり。
 雄馬はがばりと空を仰いで絶望的な叫びをあげた。

「一体ここは、どこなんだ──!!」
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